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ご本尊とはなにか?意味と種類を宗派別に徹底解説

ご本尊とは 意味 種類 宗派

 

「実家の親もトシで病気がちになった…そろそろ先々のこと、考えなきゃダメかなぁ。そういえばうちの実家、宗派はなんだったっけ…?」

そんな時は、お仏壇のご本尊を見てみるとすぐにわかりますよ。

「お仏壇に仏像がたくさんならんでるけど、“ご本尊(ごほんぞん)”ってなに?どこ?」

…という方もいらっしゃるでしょう。

そんな方の為にご本尊について分かりやすく詳しくまとめてみました。

 

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ご本尊の意味と種類

お寺の本堂や、お仏壇の中央で最も高いところに祀られている仏さまが「ご本尊」です。

もっと詳しく言うと、たいせつな信仰対象として祀られる、仏・菩薩などの立体的な像や図像のことを指します。

 

同じように中尊(ちゅうそん)という言い方もありますが、仏によって、

  • 脇侍(きょうじ/わきじ…中尊の左右や周囲にあり、中尊のはたらき・功徳を意味する)
  • 眷属(けんぞく…中尊の家来、忠実に従う者たち)

と一緒に祀られることもあるので、それらと区別して「本尊」と呼ぶことがあります。

 

またはお堂やお寺のなかにある多くの尊像のなかで、とくに重要なものを本尊と呼ぶ場合もあります。

例えば、阿弥陀如来が本尊で祀られているお堂は「阿弥陀堂」と呼ばれます。

願主の信仰や土地の伝承(村に●●仏が現れて苦しむ人々を助けてくれた…など)・建立したときの趣旨などによるので、多くの寺院のご本尊はさまざま。

一方で、浄土宗・浄土真宗では阿弥陀仏をご本尊とする…というふうに、宗派によっては、ほぼ固定の場合もあります。

さらにちょっと違う「本尊」と呼ばれる仏たちがいらっしゃいますが…それは最後の方でお話ししましょう。

 

ご本尊のすがたの種類と材質

おもに尊像と掛け軸の2種類があります。

 

1.尊像

仏さまのなかには、特定の材質でわが像を作れ、と指定されている方がいらっしゃいます。

なかでも、「白檀(びゃくだん)で作れ…」と経典に書いてあることがあります。

白檀は現在では高級香木ですから、一般の方にとってはとても手に入れづらい状態です。

 

香木はこまかく刻んで、お葬式や法事のお焼香に使うことをご存知でしょうか?

香木のなかでもとくに、伽羅(きゃら)、沈香(じんこう)、白檀は高級品でして、インドや東南アジアの一部でしか生産されない貴重なもの。

白檀はインド産が有名ですが、近年は経済成長のはげしい中国の富裕層が香木を買い占める流行にあるため、とてつもないお値段がつけられています。

伽羅にいたっては1グラムでも目が飛び出るようなレベルで、栄えている寺院さんでも手が出ないとか。

 

現在手に入りやすい仏像は柘植(つげ)が使われており、日本人の仏師が作った仏像は高値がつく一方、お手頃なものは中国などの職人の作るものがほとんどです。

ほかには金属で鋳造される尊像もあり、数センチの小さいものは手に入りやすい価格帯です。

仏の座っている姿をかたどったものを坐像(ざぞう)、立っているものを立像(りつぞう/りゅうぞう)と言います。

 

掛け軸

お寺のご本尊といえば、木で彫られた仏像がまず思い浮かびますよね。

でも実は、掛け軸に描かれた仏様の場合が稀にあります。

代表的な例が「赤不動(あかふどう)」。

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高野山真言宗の明王院(和歌山県)のご本尊として祀られていて、名前のとおり真っ赤に描かれた不動明王の掛け軸です。

ちなみに「青不動(国宝。京都府・青蓮院蔵)」・「黄不動(国宝。滋賀県・園城寺蔵)」とあわせて「三不動(さんふどう)」と呼ばれ、いずれも図像として描かれた不動明王です。

 

掛け軸はちいさなものがお仏壇でも見られますね。

壇の中央のご本尊が木製の仏像で、脇侍が掛け軸の仏画であるとか、あるいはすべて如来やお祖師様の画像であることも多いです。

日蓮宗では、開祖・日蓮が描いた掛け軸状のご本尊がお仏壇に祀られ、これは法華経の世界を文字で表した「大曼荼羅(だいまんだら)」と呼ばれます。

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各宗派のお仏壇のご本尊と読み方

宗派によっては、ご本尊としてお仏壇に祀られる仏様や、両脇のお祖師様などがまったく異なりますので、順に解説していきましょう。

お仏壇ではご本尊である中尊と脇侍二人の三尊で祀られます。

最も位の高い尊(最上座=さいじょうざ)が中央に祀られ、次の位(上座=じょうざ)は向かって右、再下座(さいげざ)は向かって左に配置されます。

 

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天台宗のご本尊

天台宗の根本経典・妙法蓮華経(法華経)は「久遠実成(くおんじつじょう)の釈迦如来」が説いているので、宗の規定ではこの尊がご本尊となっています。

久遠実成の釈迦如来とは、歴史上の人物として実在したお釈迦さまというより、はるか昔の前世から存在した覚者(ブッダ)とその教えそのものと考えて良いでしょう。

その釈迦如来が宗としての本尊として扱われますが、しかしそれぞれのお寺のご本尊は来歴によってまったく異なります。

 

また、お檀家さんのお仏壇については規定がなく、蓮華座に座っている阿弥陀如来が中央に祀られることが多いです。

これは天台宗に禅・戒律・密教・浄土教などなど、たくさんの修行法や考え方を学べる、いわば総合大学のような特徴があり、わけへだてがないからです。

お仏壇では向かって左から伝教大師、阿弥陀如来、天台大師の順で祀られます。

 

阿弥陀如来(あみだにょらい)

阿弥陀如来はインドのはるか西にある極楽浄土(ごくらくじょうど)に住むとされ、命つきた人々をその世界に導くはたらきをされます。

「アミターユス」あるいは「アミターバ」のサンスクリット語が中国で音写され「阿弥陀」と訳されました。

それぞれ「無限に近い寿命をもつもの」「無量の光を発するもの」などの意味があります。

天台大師(てんだいだいし)

天台大師・智顗(ちぎ、538年生まれ〜598年没)は中国の南北朝〜隋時代に天才と謳われた名僧。

若い頃からの名声を捨てて天台山にこもり、悟りを開いたことでさらに名声を得ることになり、皇帝から帰依(きえ)を受けました。

釈迦如来の説法のなかで妙法蓮華経を最高の教えとし、その深い考えをまとめ基礎をつくり、天台宗を開きました。

智顗は正式には智者大師(ちしゃだいし)という大師号をおくられています。

 

伝教大師(でんぎょうだいし)

伝教大師・最澄(さいちょう、767年生まれ〜822年没)は日本史の教科書にも載っているのでご存知かもしれません。

若くして国家試験に合格して出家しますが、当時の仏教界が俗世間と馴れ合っている風潮をきらい、ひとり比叡山に入り修行を重ねるなかで法華経を最高の教えだと確信し、中国で開かれた天台宗に学びを得ることを決意。

朝廷の許しを得て遣唐使船に同行し中国・天台山にわたり、教学のすべてを授かって日本に帰り、天台宗をこの国で開きました。

 

「天台法華円宗(てんだいほっけえんしゅう)」が日本での正式名で、あらゆる者がほとけになることができる、と説きます。

のちの弟子たちによって円教(天台教学)・密教・禅・戒の教えが発展、成熟していきました。

 

真言宗のご本尊

真言宗の根本経典は「大日経(だいにちきょう)」および「金剛頂経(こんごうちょうきょう)」と呼ばれる密教経典です。

いずれも大日如来が説く教えであることから、この尊が宗規定のご本尊です。

身(からだ)、口(ことば)、意(こころ)の三密(さんみつ)をととのえることによって仏と僧が一体となる秘密の教えであり、資格がある者にしか伝えられない…それゆえにつけられた名前が「密教(みっきょう)」。

 

真言宗も、縁起や創建理由などによって各お寺のご本尊が異なることは天台宗と同じです。

ただし、檀信徒のお仏壇は大日如来がご本尊で固定されています。

お仏壇の三尊は、向かって左から不動明王、大日如来、弘法大師の順で祀られます。

 

大日如来(だいにちにょらい)

サンスクリット語で「マハーヴァイローチャナ」、漢語で音写されて「魔訶毘盧舎那(まかびるしゃな)如来」と呼ばれ、

「マハー」は「大」・「あまねく」、「ヴァイローチャナ」は「光」・「照らす」という意味があるため、大日如来は「遍照(へんじょう)」とも呼ばれます。

後述の弘法大師(こうぼうだいし)が「遍照金剛(へんじょうこんごう)」と呼ばれるのは大師が大日如来の化身であることを意味するのですね。

諸仏の王とされる大日如来はこの世の真理のすべてをあらわし、そのため密教のもっとも大事な本尊として祀られます。

 

弘法大師(こうぼうだいし)

今もなお尊崇をあつめる弘法大師・空海(くうかい、774年生まれ〜835年没)は真言宗の開祖、密教の天才です。

讃岐(現在の香川県)の郡司の家に生まれ高等な教育を施されるなかで、空海は仏道に没頭、さらに各地の霊山に分け入って修行、このときに密教経典に出会い惹かれていきます。

得度受戒(時期に諸説あります)のち、さらに密教を極めんと遣唐使船に乗り中国へ渡り、長安の恵果阿闍梨よりあらゆる秘法を伝授、日本に伝え、高野山にて教学をととのえ真言宗を開きました。

 

ちなみに、その遣唐使船の一団のなかには前述の最澄も同乗しており、のちにそれぞれが平安仏教を開いたことは仏教史的に興味深いところですね。

空海はその強烈な霊験で、身分の上下を問わずたくさんの人々を救いました。

実際には空海本人がおとづれた事実もない地域で、たくさんの超人的な伝説が残されているのは、それだけ彼にすがろうとした人々がいたからかもしれません。

なかには、弘法大師そのものをご本尊に祀るお寺もあるくらいですから、彼への尊敬と人気は日本史上でもきわめて異例と言ってもいいでしょう。

 

不動明王(ふどうみょうおう)

仏の教えに従わないものを屈服させるため、如来があえて攻撃的に姿をかえることを教令輪身(きょうりょうりんじん)と呼びます。

不動明王は大日如来の教令臨身で、サンスクリット語で「アチャラナータ」=動かざる尊という意味が名前の由来。

密教祈祷のなかに、清浄な炎によって行者と祈願者の煩悩を浄化し、お願いを叶えてもらう「護摩(ごま)」というものがあります。

その主役を果たすのがこの不動明王です。

 

右手の智剣(ちけん)で敵を切り、左手に羂索(けんさく)という縄で悪魔を縛り、背中に背負う智火(ちか)の炎で煩悩を焼きつくす…。

厄難をはらい、さまざまなご利益を授けてくれることから、日本ではもっとも親しまれた仏です。

お正月の寺院仏閣への参拝者数ランキングには、この不動明王の護摩祈祷をおこなう真言宗の寺院が上位を占めることからも、強い人気をうかがえますね。

 

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浄土宗のご本尊

「極楽浄土」という言葉はもともとサンスクリット語の「スクワーバティー」から来ていて、「幸せの所在地」という意味を持っております。

他に「安養浄土(あんよう/あんにょうじょうど)」という呼び方もあります。

四季も外敵もなく、過ごしやすい極楽浄土で阿弥陀如来の説法を聴きながら、亡くなった人は仏になるために修行をするゆえに「極」めて「楽」。

キリスト教の天国とちがい、じつは極楽浄土は亡き人の最終目的地ではないことに注意が必要です。

浄土宗は、阿弥陀如来の名前をひたすら唱えて救いを求め、だれでも極楽浄土に往生できる「専修念仏(せんじゅねんぶつ)」を提唱しました。

寺院も、また檀家さんのお仏壇にも、阿弥陀如来を本尊として祀るならわしで、左から法然上人、善導大師が如来の脇を固めます。

 

善導大師(ぜんどうだいし)

中国の名僧である善導(ぜんどう、613年生まれ〜681年没)は、阿弥陀仏の名前を呼んで極楽往生を求める「称名念仏(しょうみょうねんぶつ)」を確立し、唐の浄土教を大いに発展させた人物です。

阿弥陀経を10万巻も写経し、極楽浄土のようすを300枚以上も描いて布教するかたわら、禁欲のために視線を上にあげて女性を一切みなかったなど、世俗のことに脇目もふらず修行したといいます。

浄土宗の第三祖に数えられ、彼の著作で念仏について書かれてある「観無量寿経疏(かんむりょうじゅきょうしょ)」が、法然を浄土の教えに導きました。

「光明寺和尚(こうみょうじかしょう)」「善導和尚(ぜんどうかしょう)」などの別名があります。

 

法然上人(ほうねんしょうにん)

比叡山の経典の蔵にこもること17年。

名僧の著作を読みふけった結果、厳しい修行がなくても・誰でも極楽に往生し、成仏を果たせる方法を見いだした法然(ほうねん、1133年生まれ〜1212年没)。

法然が確立した修行法が「専修念仏(せんじゅねんぶつ)」です。

阿弥陀如来はもともと法蔵(ほうぞう)という名前の菩薩で、厳しい修行を重ねたうえで48の誓いを立てて如来となりました。

 

その18番目に「10回、わたしの名前を称えるひとを浄土に向かわせることを誓います。もしそれができないならば、わたしは阿弥陀如来になりません」という誓いがあり、これが専修念仏でかならず往生するという根拠になっています。

なぜなら、もう阿弥陀如来は存在するのですから、どんな人であれ念仏で往生できるはず、という論理ですね。

この考え方は世の人にとても革新的であったため、あっという間に広がりましたが、一方で比叡山からは弾圧を受けて、法然とその弟子の親鸞も島流しにあってしまいます。

しかし彼らの生み出した浄土宗・浄土真宗の影響はすさまじく、現在でも特に浄土真宗がもつ信徒数・寺院数は、他宗をはるかに凌駕します。

 

浄土真宗のご本尊

法然の弟子である親鸞(しんらん、1173年生まれ〜1263年没)が開いた浄土真宗。

浄土真宗が祀るご本尊はもちろん阿弥陀如来で、お寺もお仏壇も同じく祀られます。

ただしその両脇には、

  • 浄土真宗本願寺派(ほんがんじは)…蓮如上人、阿弥陀如来、親鸞上人
  • 浄土真宗大谷派(おおたには)…九字名号、阿弥陀如来、十字名号

このように祀られる祖師などが浄土宗と違う点です。

そして浄土真宗は親鸞の時代から、肉食・結婚が許された在家(ざいけ)宗教であり、同じお坊さんでも髪を伸ばしている方もいる…など、浄土宗もふくめ他宗とまったく在り方が異なります。

 

親鸞上人(しんらんしょうにん)

見真大師(けんしんだいし)親鸞(1173年生まれ〜1263年没)は、師匠である法然の考え方を独自に発展させます。

「他力本願(たりきほんがん)」、「悪人正機(あくにんしょうき)」などの言葉はとくに有名ですね。

 

他力本願の「他力」は阿弥陀如来の力・「本願」は苦しみ悩む人々を救わんとする如来の願いを表します。

この言葉は阿弥陀如来の救済力にすべてをまかせて、難しい修行を考えず、いまを力強く生きようとする考え方を意味します。

 

反対に「自力(じりき)」は、名僧・高僧のように俗世を離れてみずから厳しい修行をおこなって悟りを開くことを表します。

どちらがカンタンか、一般人に受け入れやすいか、は明白ですよね。

 

悪人正機とはたとえ悪い行いを犯しても、阿弥陀如来を信じ念ずればかならず往生させてくれるという考え方です。

このシンプルさ・ふところの広さ・そして戒律なしの在家宗教ということから、親鸞は民衆に絶大な支持を得ます。

生前はお寺は持たず、従う人すべてを阿弥陀如来に救われる御同胞(おんどうぼう)だとして平等にあつかいました。

親鸞が亡くなってのち、お墓が「本願寺」として寺院となり、その教団は浄土真宗として組織されます。

 

蓮如上人(れんにょしょうにん)

その本願寺の8代目が蓮如(れんにょ、1415年生まれ〜1499年没)です。

親鸞の死後に分かれてできた浄土真宗諸派のうち、衰退していた本願寺教団(現在の本願寺派と大谷派)を大いに隆盛させます。

信徒は一向一揆(1488年〜1580年)を起こして加賀を90年近く支配するほどでした。

ただしその勢いが遠い原因となって、現在の「お西(にし)さん」と呼ばれる本願寺派、そして「お東(ひがし)さん」の大谷派に分裂させられてしまいます。

とはいえ仲違いをしたわけでもなく、浄土真宗の十派のなかでも二大勢力として存在する両者は、現在も浄土真宗全体を仲良く引っ張っています。

 

九字名号(くじみょうごう)・十字名号(じゅうじみょうごう)

本願寺派以外の浄土真宗諸派は「真宗●●派」と呼びます。

「南無阿弥陀仏」は六字名号(ろくじみょうごう)と呼ぶのにたいして、

  • 九字名号…「南無不可思議光如来(なむ(なも)ふかしぎこうにょらい)」
  • 十字名号…「帰命尽十方無碍光如来(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)」

いずれも阿弥陀如来に帰依することを意味します。

真宗大谷派のお仏壇には、これらの字が描かれた掛け軸を本尊の両脇に祀ります。

 

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曹洞宗のご本尊

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釈迦如来は坐禅によって悟りを得たことから、修行法の第一として禅を布教した禅宗の諸派。

曹洞宗はご本尊を釈迦如来としているものの、とくにこだわりはなく、寺院によってはバラバラです。

例えば、大本山の永平寺(えいへいじ、福井県吉田郡)にはご本尊・釈迦如来の両隣に阿弥陀如来と弥勒菩薩を同じく祀ります。

もうひとつの大本山・総持寺(そうじじ、神奈川県横浜市)は釈迦十大弟子の摩訶迦葉(まかかしょう)と阿難陀(あなんだ)を脇侍にしている他、普賢・文殊の両菩薩で釈迦三尊(しゃかさんぞん)を整えるお寺もあります。

 

曹洞宗の釈迦如来は、天台宗や日蓮宗とは異なり、実際に坐禅で悟りをひらいた歴史上のお釈迦さまを指します。

檀信徒のお仏壇には「一仏両祖(いちぶつりょうそ)」といって、中央に釈迦如来、その両脇を道元(どうげん)・瑩山(けいざん)の祖師が一緒に描かれた掛け軸をご本尊にすえる場合があります。

 

承陽大師(しょうようだいし)

曹洞宗を開いた道元(1200年生まれ〜1253年没)は高祖(こうそ)とも呼ばれ、明治天皇より承陽大師の諡号を受けました。

もとは比叡山にて修行していたものの、天台教学の「もとよりみな仏であり、また仏になることができる」考え方に疑問を抱きます…もし、もとから仏ならば、修行に意味はあるのかと。

荒廃し世俗にまみれきった比叡山内において、道元の問いに明快に応じられる人間はいるはずもなく、完璧な答えを求め下山します。

すでに宋に渡って禅を学び、日本で臨済宗を開いた栄西(えいさい/ようさい。後述)と交流してから、道元は禅を究めんとして中国に渡航、如浄禅師(にょじょうぜんじ)と出会い悟りを得ることに成功しました。

 

悟りのために修行するのではなく、修行の中に悟りがあると見出し、「只管打坐(しかんたざ)」=ひたすら坐禅に打ち込むことを提唱します。

比叡山からの妨害をかいくぐりながら布教をつづけ、永平寺を開山、おおくの弟子たちを育てていきました。

 

常済大師(じょうさいだいし)

高祖とよばれる道元にたいし、常済大師・瑩山(1268年生まれ〜1325年没)は太祖(たいそ)と呼ばれ、曹洞宗の発展に大きく貢献した人物です。

はじめ永平寺で出家得度し修行しますが、くすぶっていた「三代相論(さんだいそうろん)」という永平寺住職の継承問題が再燃、瑩山はこれを避けて下山し、諸国・諸寺をわたり歩いて修行を重ねます。

ちなみに同時代の日本は元寇(1274年・1281年)を経験、道元などが修行した宋は滅ぼされていました。

 

悟りを得た瑩山はその後、寄進を受けて能登中河(現在の石川県)に永光寺(えいこうじ)、さらに総持寺(神奈川県)を開山、三代相論を終結させて、後進の弟子の育成に力を入れました。

道元の開いた永平寺、瑩山の総持寺は両方とも「大本山」となっていて、2つもあるのは曹洞宗のみです。

 

臨済宗のご本尊

臨済宗のご本尊は、曹洞宗と同じく禅によって悟りをひらいた釈迦如来。

檀信徒のお仏壇にはこのお釈迦さまだけ祀る場合がおおく、さらに向かって右に文殊菩薩・左に普賢菩薩の三尊をととのえたりするほか、達磨大師やほかの祖師の掛け軸を祀る場合もあります。

釈迦三尊いがいは、ほかの多くの宗派と見かけが似ているので、区別に注意が必要ですね。

臨済宗は栄西(えいさい/ようさい、1141年生まれ〜1215年没)が開きました。

栄西はもともと比叡山で天台の教学、とりわけ密教を学んでいましたが、俗世間化・衰退した比叡山を再興しようと宋代の中国に渡るものの、当時の宋は禅が隆盛をきわめていました。

栄西は禅に活路をもとめ、修行に没頭し、臨済宗黄龍派から禅を伝えることを認められました。

 

日本に戻り比叡山などから迫害を受けるものの、真言宗など他宗との協調路線をとることに成功しつつ、布教活動を続けます。

とくに鎌倉幕府の寄進で建立した京都の建仁寺(けんにんじ)は、天台・禅・真言の三つの仏門を学ぶことができた、画期的な寺院です。

 

文殊菩薩

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サンスクリット語の「マンジュシュリー」が音写されて「文殊師利(もんじゅしり)」、略して文殊と呼ばれる菩薩は、もともとバラモンのとある子供がモチーフになっていると言われる智慧の仏さま。

獅子に乗っていることもあり、これは文殊の智慧が百獣の王にも勝ることを意味しています。

普賢菩薩とともに、お釈迦さまの両脇に配置され、釈迦三尊としてよく祀られます。

 

普賢菩薩

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普賢菩薩はありとあらゆる世界に出現し、その賢さで人々を教化することからその名前が付けられました。

修行者が成仏するまで守護をする、と法華経などに書いてあるため、とくに出家者たちに親しまれ、三尊形式をとらず独立して祀られる場合があります。

密教では寿命を伸ばす「普賢延命法(ふげんえんめいほう)」があり、宮中でしかおこなわれない大法として扱われました。

ほかにも普賢菩薩は福徳を授けてくれる仏として崇敬され、一説では、阿弥陀如来の前世、8人の息子で文殊菩薩と普賢菩薩が兄弟として仕えていたとあります。

 

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日蓮宗のご本尊

比叡山での修行に飽き足らず、諸宗の寺院にも足をはこび、正しい法を求めた日蓮(にちれん、1222年生まれ〜1282年没)。

厳しい修学・修行のすえ、「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」というお題目を唱えることで誰しも救われると悟り開宗した一方で、他宗の考え方を排斥するなど攻撃的な布教を行いました。

 

日蓮宗のご本尊は、お題目の文字が描かれた大曼荼羅。

そしてお仏壇は、向かって左から大黒天・大曼荼羅・鬼子母神の順で祀ります。

地域によっては大黒天と鬼子母神を入れ替える場合もあるので注意してください。

 

大曼荼羅(だいまんだら)

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「法華曼荼羅」・「文字曼荼羅」とも呼ばれる、日蓮が妙法蓮華経の世界を文字で表現したもの…それが大曼荼羅です。

大きな「南無妙法蓮華経」というお題目を中央にして、四天王や鬼子母神などの文字がひげのように描かれ、日蓮宗信徒の信仰の中心に掲げられます。

場合によってこの大曼荼羅の前に、日蓮上人の坐像を祀ります。

 

鬼子母神(きしもじん/きしぼじん)

法華経のなかで十大羅刹女(じゅうだいらせつにょ)という鬼神たちが「法華経を信じる者と修行者を守る」と宣言するくだりがあり、その羅刹女の一人が鬼子母神です。

もともとは王舎城(おうしゃじょう、インドのラージャグリハ)で子供を食べる悪神として恐れられましたが、お釈迦さまにいさめられ、罪をあらためて仏法を守る守護神になりました。

 

襲撃事件・小松原法難(こまつばらほうなん、1264年)の時、鬼子母神は日蓮のまえにあらわれて危機を救いました。

そのとき鬼子母神が降り立った「降神の槙(こうじんのまき)」は鏡忍寺(きょうにんじ、千葉県鴨川市)の寺宝で現存しています。

 

以上のことから、法華経の行者の守護神として日蓮宗では鬼子母神は篤く信仰されます。

「江戸三大鬼子母神」がすべて日蓮宗系の寺院であることからも、その尊敬ぶりが伺えますね。

その3寺院のうち、荒行で有名な中山法華経寺(なかやまほけきょうじ、千葉県市川市)の大荒行堂には、日蓮がみずから刻んだという鬼子母神の像が安置されています。

おもなご利益は安産・子授け、そして子供の無事成長です。

 

大黒天(だいこくてん)

「大黒天」の名前はサンスクリット語で「マハーカーラ」の漢訳で「マハー」は「大いなる」、「カーラ」は「黒」を意味します。

密教の曼荼羅では「摩訶伽羅天(まかきゃらてん)」の呼び名が付けられていて、こちらは「マハーカーラ」の音写。

摩訶伽羅天は、七福神のなごやか〜な大黒天とまったく様子が違い、はっきりいって凶悪な姿をしています。

これは大黒天がもともとインドの暴悪神だったから。

日本ではとてもマイルドになり、五穀豊穣のご利益を授ける善神として信仰されるようになりました。

日蓮宗がこの尊天を祀るのは、日蓮が大黒天を尊んだことに由来します。

 

「守本尊(まもりほんぞん)」は一代のみの守護仏

以上のほかに「本尊」とつく言葉として、守本尊があります。

信仰する人を一生守り続けるとされ、生まれの干支ごとにもうけられているのが守本尊で、ぜんぶで8尊いらっしゃいます。

  1. 子年生まれ…千手観音(せんじゅかんのん)
  2. 丑・寅年生まれ…虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)
  3. 卯年生まれ…文殊菩薩
  4. 辰・巳年生まれ…普賢菩薩
  5. 午年生まれ…勢至菩薩(せいしぼさつ)
  6. 未・申年生まれ…大日如来
  7. 酉年生まれ…不動明王
  8. 戌・亥年生まれ…阿弥陀如来

例えば2019年は亥年(いどし)ですから、この年に生まれる子供の守本尊は阿弥陀如来となります。

由来は易のひとつ・九星気学(きゅうせいきがく)とされますが諸説あり、詳しいことはわかっていません。

 

守本尊のご利益を授かりたければ、祀られている寺院さんを探してお参りしてみましょう。

ただし守本尊の仏像を購入するのは、あまりおすすめしません。

なぜなら、本人の一代きりの守護仏ですし、その子供や孫が尊像をずっと大事にしてくれるとは限らないからです。

もし仏像を手に入れたいとお考えならば、お仏壇ではなく、床の間(とこのま)や目線より高い場所に祀ることが通例ですので、ぜひそちらを綺麗に保ってくださいね。

 

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まとめ

ひとことで「ご本尊」といってもじつはいろいろな種類があり、宗派によってはさらに広がってしまうため、かなり長く語ってしまいましたね。

ほかの宗教とちがい、仏教のご本尊は信仰のかなめです。

しかしそのご本尊も宗派によっては綺麗なくらい、バラバラ。

簡単にいえば、これは悟りの世界に向けてたくさんの道があることを示しています。

禅もあれば密教もあり、南無妙法蓮華経もあれば南無阿弥陀仏もある…このふところの広さが、日本仏教の良さですね。

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