「天国」と聞くと、どんなことを思い浮かべますか?
恐らく殆どの方は、
- 悲しみや苦しみが無い
- 食べ物が豊富にある
といった、良いイメージを思い浮かべるのではないでしょうか。
死後に行く世界として、最も良い場所とされる天国。
そんな天国ですが、宗教によって違いがあることをご存知でしょうか。
違いを詳しくみていきましょう。
ということで、天国ってどんなところ?|宗教による思想の違いをお送りします。
キリスト教における天国
天国と聞くとキリスト教をイメージする、という方も多いのではないでしょうか。
天使などのイメージが強く、聖書にも登場することの多い天国。
そんなキリスト教における天国は、私達が生きている上で体験するであろう、死や悲しみ、苦しみ、痛みといった苦痛が存在しない世界とされています。
天国とは、神の存在する喜びや幸せに満ちた世界なのです。
では、どのような人が天国に行けるのでしょうか。
それは、神の存在を認め、神への信仰心を持った人。
キリスト教では、生前の行いよりも神への信仰心が重要とされているのです。
イスラム教における天国
キリスト教と同じような天国に対する考えを持つ宗教に、イスラム教があります。
イスラム教では天国をどのように考えているのでしょうか。
イスラム教にはジャンナと呼ばれる死後の国が存在します。
このジャンナが、いわゆる私たちの想像する天国に近い場所です。
ジャンナは、様々な快楽が待ち受けており、何不自由なく生活できる世界とされています。
イスラム教における天国は「永遠の楽園」とされ、酒やとてもおいしい食べ物などを、好きなだけ飲んだり食べたりすることができるのです。
では、どのようにしたらこのジャンナと呼ばれる天国に行くことができるのでしょうか。
イスラム教における天国に行く方法は、キリスト教と同じように神への信仰心を持ち続けること。
イスラム教にも、死後に行く世界を決める最後の審判が存在します。
その最後の審判の際に、天使が生前の罪状をアッラーの前で読み上げ、そこで死後に行かされる世界が決まるのです。
しかし、アッラーは寛大なお方のため、なるべく多くの人を天国に行かせてあげたいと思っているのだとか。
なので、イスラム教ではよほどの悪事を働かない限り、殆どの人は天国へ行くことができるとされています。
仏教における天国
では、仏教では天国はどのように考えられているのでしょうか。
実は、仏教では天国という呼び方をしません。
仏教における天国は「極楽浄土」と表現されます。
極楽浄土とは、最高の仏様である阿弥陀仏が存在する世界のこと。
苦しみや悲しみが全く無く、阿弥陀仏が法を説いている世界とされています。
しかし仏教では、極楽浄土の他にも天国に近い語が存在します。
それは、仏教における死後の世界の1つである「天上道」というもの。
天上道は、6つの苦しみの世界である六道輪廻(ろくどうりんね)の中の一つとされる世界。
六道の中では最も苦しみが少なく、楽なことが多い世界とされています。
しかしこの天上道は、死や悲しみなどは存在する世界。
永遠の喜びを得られる訳ではないのです。
一方、そのような苦しみの輪廻から外れた状態の永遠の世界が極楽浄土なのです。
極楽とは、「幸福のあるところ」という意味。
極楽浄土とは、仏様の下で幸せに暮らすことのできる世界なのです。
まとめ
死後に行く最高の世界とされている「天国」。
しかし、一口に天国と言っても宗教によって様々な違いがありました。
それぞれの宗教によって基準や世界観が異なる天国。
行く事のできる基準は違っても、どの宗教でも、神に感謝をする気持ちを忘れないように日々を過ごすことが重要なのかもしれません。