- 菩薩(ぼさつ)
- 如来(にょらい)
- 観音(かんのん)
これらの仏様を指す言葉。
なんとなく、座ったりしている穏やかな顔の仏像をイメージされる人が多いと思います。
しかし・・・
いざ「菩薩・如来・観音の違いは何?」と聞かれると、答えられない人がほとんどではないでしょうか。
この記事では、名前は知っているけど違いがわからない「菩薩」「如来」「観音」、それぞれの意味を紹介していきます。
ということで、
菩薩/如来/観音の違い|分かりやすく徹底解説
をお送りします。
それぞれの違い
違いをまとめるとこうなります。
- 如来:最高ランクの仏様
- 菩薩:次のランクの仏様
- 観音:菩薩の内の一人
それぞれ詳しく見ていきましょう。
如来とは
如来とは『仏教の最終目標である悟りの境地を開いた者のこと』を意味します。
つまり、如来は仏教においては最終形態であり、最高ランクにいる存在です。
地上においては、悟りの境地を開いたのは釈迦だけ。
ということは・・・
『如来=釈迦』ということになる訳です。
如来は釈迦だけではない
「そんなこと言っても他に阿弥陀様とかもいるじゃないか!」
そうですね、確かに阿弥陀様も如来です。
如来とつく言葉には「釈迦如来」の他に、
- 阿弥陀如来
- 大日如来
- 薬師如来
などが存在しています。
『釈迦如来』は悟りを開いた者への敬称として、釈迦の名前に「如来」をつけたものです。
一方、阿弥陀如来・大日如来・薬師如来などは、釈迦のような地上の存在ではなく、大宇宙や極楽浄土で仏教の悟りを開いた存在のことです。
どの如来を本尊にするかというのは宗派によって異なります。
ですが、どの如来においても『仏教の悟りの境地に達している』という点で優劣はありません。
如来の姿
如来の姿としてイメージしやすいのは、鎌倉や奈良の大仏でしょう。
如来は薄い衣を纏い、螺髪(らほつ)と言われる独特な髪型など、特徴的な姿をしています。
ちなみに鎌倉の大仏は阿弥陀如来で、奈良の大仏は盧舎那仏(るしゃなぶつ・法華経で説かれる仏、毘盧舎那(びるしゃな)如来ともいう)です。
菩薩とは
菩薩とは、最高ランクである如来からみて『次のランクの者』を意味します。
菩薩は如来と違い、まだ仏教の悟りの境地に到達していない存在です。
菩薩自身も修行中の身なのです。
また、自分の修行と同時に、仏教の教えを元に命のあるすべての者(=衆生・しゅじょう)を苦しみから救済するのが菩薩の役目です。
如来と菩薩の意味を知らないと・・・
「菩薩も如来も似たようなもの」と思ってしまいそうですね。
しかし「悟りを開いたか否か」というのは大きな違いですね。
もちろん菩薩は仏教に精通し、衆生を救済する役目もあり・・・
当然俗人よりも仏教的に尊い存在はありますが、如来とはまったく違った存在なのです。
代表的な菩薩の例
菩薩様もたくさん存在していますが・・・
- 観世音菩薩
- 地蔵菩薩
この辺りは認知度が非常に高いのではないでしょうか。
特に地蔵菩薩は、仏教の信仰いかんに関わらず、老若男女に親しまれていますよね。
菩薩の姿
菩薩の姿で特徴的なのは、ネックレスなどの華やかな装飾品を身につけているところです。
菩薩の姿は釈迦が出家する前の姿がモデルになっています。
釈迦はインドの裕福な家の出でした。
そのため、ネックレスやイヤリング、被り物など、華やかで豪華な装飾品を身につけた姿をしているのです。
観音とは
最後に観音様について説明しましょう。
結論から言ってしまえば・・・
観世音菩薩の略語が観音様です。
要は『菩薩の中の一人』ということが出来ますね。
観音は数多くいる菩薩の中でも「広く人々の声(音)を観察し、その中の苦しみから人々を救済する」慈悲深い菩薩です。
その慈悲に預かろうと、お寺の通称にもなるほど広く信仰の対象になっています。
このように観音菩薩が「観音さま」と呼ばれるほど信仰を集める理由の一つに『般若心経』の存在があります。
般若心経の中で『苦しみから解き放たれる方法を観音菩薩が解いたこと』が記されているのです。
般若心経は、短いお経の中に仏教の教えが的確に収められている経典です。
そのため、実に多くの宗派が読み上げるお経として親しまれています。
般若心経の知名度と一緒に観音菩薩の知名度も高くなったということですね。
観音の姿
観音菩薩は人々を救うために、なんと『33種類もの姿に変身ができた』と言われております。
それを表すかのように観音菩薩の仏像は「馬頭観音」や「十一面観音」「千手観音」など多様な姿をしています。
まとめ
- 如来:最高ランクの仏様
- 菩薩:次のランクの仏様
- 観音:菩薩の内の一人
菩薩・如来・観音。
混同しがちですが、意味が分かると『より親しい存在』として感じることが出来ますね。
意味を理解した上で参拝すると、より興味深く鑑賞できますよ^^