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伝説の二人の陰陽師 安倍晴明と蘆屋道満の世界

安倍晴明 陰陽師

平安時代の日本において、陰陽師として名高い二人の人物がいます。

一人は、安倍晴明(あべのせいめい)であり、もう一人は蘆屋道満(あしやどうまん)です。

この記事では、彼らの物語や歴史を紐解きながら、陰陽道の世界を探求していきます。

また、彼らの子孫たちや芸術・文学に描かれた姿にも触れていきますので、晴明・道満ファンにはたまらない内容です。

 

この安倍晴明と蘆屋道満などの陰陽師を、魔法使いのような不思議な術を使い、敵と戦うといったように描かれることが多いため、伝説上の架空の人物と思っている人もいるかもしれません。

しかし、安倍晴明は平安時代に陰陽師として活躍していた、歴史上実在した人物で、京都には安倍晴明を祀った晴明神社もあります。

陰陽道とは何か分かりやすく解説!!【陰陽師の真実】

  • - 平安時代に活躍した二人の陰陽師の歴史
  • - 陰陽道とは?その歴史と役割
  • - 安倍晴明と藤原道長の深い関係
  • - 蘆屋道満の怪異伝説とその影響

これから掘り下げていく内容については、歴史や伝説が好きな方には興味深く、また現代の映画やアニメで描かれる陰陽師の原型を知る上でとても役立ちます。

安倍晴明と蘆屋道満の知られざる世界に触れることで、彼らの存在や陰陽道の魅力をより深く理解することができるでしょう。

 

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伝説の陰陽師・安倍晴明と蘆屋道満の物語

安倍晴明と蘆屋道満は、平安時代の日本を舞台に活躍した陰陽師の二人であり、その生涯と功績は多くの物語や伝承に語られています。

陰陽師は、陰陽道を基に、自然現象や天文暦を読み解くことで、国家の安泰や疫病除けに奉仕しました。

彼らの活躍は、歴史や文化に多大な影響を与えており、今なお人々の心を魅了しています。

この記事では、安倍晴明と蘆屋道満の物語を紐解いていくことで、平安時代の陰陽師たちの足跡や役割について探っていきたいと思います。

また、現代の京都でも彼らに関連する場所が多く存在し、多くの人々が訪れる観光地となっています。

それでは、安倍晴明と蘆屋道満の物語に耳を傾けてみましょう。

平安時代に活躍した二人の陰陽師の歴史

平安時代の陰陽師の歴史を語る上で外せない二人が、安倍晴明と蘆屋道満です。

安倍晴明は藤原氏の血を引く名家の出身で、天文暦学や陰陽道を学び、平安時代を代表する陰陽師として活躍しました。

また、晴明は関白・藤原道長の信任を受け、天皇家や貴族に仕え、国家の安泰を祈念する神事や防除のための呪術を行いました。

一方、蘆屋道満は賀茂氏の出身で、道満は陰陽道を学びながらも、自らの力を疑われることもあり、晴明とは違った陰陽師としての道を歩んでいきます。

彼らはライバル関係にあり、競い合いながらも時に協力し合い、平安時代の陰陽師として多くの伝説や物語にその名を刻んでいるのです。

陰陽道とは?その歴史と役割

陰陽道は、古代中国から伝わった陰陽五行説を基に、自然現象や宇宙の法則を説く思想や術などを総称したものです。

陰陽師は、陰陽道の知識を活用して、天文暦学を用いながら、国家の安泰を祈願し、疫病などの災いを防ぐ役割を担いました。

また、陰陽道では自然界や人間の心身に影響を与える方位や気の流れも重要視されており、土地や建築物の選定などにも大きく関与していました。

このように、陰陽師は平安時代の日本において、国家や民間における神秘的な存在として、その知識や力を発揮し、人々の信仰や敬愛を集めていたのです。

安倍晴明と藤原道長の深い関係

平安時代を代表する二人の人物である安倍晴明と藤原道長。それぞれ陰陽師として名高い晴明と、政治の世界で権力者として君臨した道長であるが、彼らの間には深い関係が存在した。その理由は、道長が晴明の占術に大変な信頼を寄せており、数々の重大な政治的局面において晴明に助言を仰いでいたからである。また晴明は、道長の一族に不遇な事があると占いで助ける事もあったと言われている。このような信頼関係は、平安時代の日本の政治史に大きな影響を与えたとされており、晴明と道長が共に登場する物語も多く存在する。

伝説的陰陽師 安倍晴明

安倍晴明は平安時代に活躍した陰陽師です。

当時の陰陽師の多くは、陰陽寮と呼ばれる朝廷管理の組織に属していましたが、安倍晴明も陰陽寮に属する人物で、特に天文に関して長けた人物だったようです。

現代メディアにおいては、派手な呪術を使いこなす陰陽師として描かれることが多い人物ですが、史実上の記録でも次のような記録が残っています。

  • 皇太子の命で、天狗を封じる儀式を行う
  • 1004年、深刻な干ばつが起こった際に雨乞いの儀式を行い、雨を降らす

これ以外にも様々な儀式を行った記録や、天文観測から人間界の吉凶を占い天皇に進言した、などの記録が多数残っています。

 

安倍晴明は陰陽師として、当時から名声を極めていましたが、陰陽寮のトップに就くことはなく、代わりに陰陽寮を離れて様々な官職を歴任し、確固たる地位を築いていくこととなります。

このような安倍晴明の多岐にわたる活躍により、『安倍家』は陰陽道の代表的な宗家として陰陽道の世界を独占的に支配することとなりました。

蘆屋道満の怪異伝説とその影響

蘆屋道満は、平安時代の有名な陰陽師であり、安倍晴明のライバルとして描かれることが多い。道満にまつわる怪異伝説は数多くあり、彼が悪霊や妖怪を退治したという話から、逆に彼が妖術を使って人々を脅かしたという説話まで幅広い。これらの怪異伝説は、当時の人々の間で広まり文化にも多くの影響を与えており、後の時代の文学や映画にも取り上げられることが多い。また、道満の子孫とされる家系も現代に至るまで存在し、彼らの活躍やその興亡にも注目が集まっている。

安倍晴明が活躍した当時、陰陽師は陰陽寮と呼ばれる朝廷が管理する組織には属していました。

しかし、芦屋道満は陰陽寮には属さない、いわば「野良陰陽師」です。

※芦屋道満、道摩法師(どうまほうし)とも。

ただ、芦屋道満に関しては、国の管理する陰陽寮に属していなかったせいか、当時の文献には記録がなく、安倍晴明の伝説を引き立てるための、架空の人物だったのではないかという意見もあります。

実在した人物かどうかの真偽は分かりませんが、芦屋道満に関する逸話や、日本各地に「蘆屋塚」「道満塚」「道満井」の類が数多く残っているのも事実です。

個人的には、芦屋道満も実在していて、漫画や小説のように、呪術で安倍晴明と戦っていたとかだったら面白いとは思いますね。

 

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安倍晴明と蘆屋道満の子孫たち

安倍晴明と蘆屋道満は、それぞれ子孫を残しており、彼らの血筋は現代にも受け継がれている。晴明の子孫は、後に土御門家という名家として知られ、多くの陰陽師や政治家を輩出している。一方で、道満の子孫は、今でも陰陽道に関わる家系が存在し、その名声も衰えることはない。両者の子孫は、陰陽数々な経験や伝統を受け継ぎ、日本の古代から現代に至るまでの歴史文化に大きな影響を与えている。

安倍晴明の子孫・土御門家の興亡

安倍晴明の子孫である土御門家は、平安時代から室町時代にかけて栄え、多くの陰陽師や政治家を輩出したが、戦国時代以降は衰退を迎える。その原因は、戦乱による家名の喪失や本家の断絶などが影響しているとされている。それでも土御門家の血筋は現代にも受け継がれ、子孫たちは陰陽道に関する知識や技術を伝承している。また、土御門家ゆかりの地や建造物、神社仏閣なども今日見ることができ、彼らの歴史を偲ぶことができる。

安倍晴明の子孫がまさかの・・・

安倍晴明など歴史上の著名人に関して、多くの人が関心を寄せるのが、子孫は誰かということです。

例えば、織田信長の子孫にあたる織田信成さんも、TVでは織田家の子孫として注目を集めましたよね。

安倍晴明についても同様に、その子孫について、関心を寄せる人は多くいます。

 

そして調べてみると、まことしやかに噂されているのが・・・

安倍晋三が安倍晴明の子孫という説です。

 

その根拠となっているのは次のようなものです。

  • 安倍晴明と関係の深い『安倍文殊院』に、「第90代内閣総理大臣」と書かれた献灯碑がある
  • 安倍総理の母親が、「安倍晴明を誇りに思う」と挨拶したことがある
  • 日本でも比較的数の少ない『安倍』姓である

噂の真偽は?

さて気になるのがその噂の真偽についてですが、

恐らくガセネタと考えられます。

 

その理由は簡単で、安倍晴明の直接の子孫は、14代目以降『安倍』ではなく、『土御門』を名乗るようになっているためです。

直接の子孫であれば『土御門』の姓でなければおかしいということですね^^;

 

ただ、元は同じ安倍姓なので、ルーツを辿っていけば、安倍晴明と安倍総理は、ルーツを同じくしている可能性はあります。

安倍総理は2013年に岩手県の講演で『自分は安倍貞任の子孫』という旨の発言をしているそうです。

この、『安倍貞任(1019年-1062年)』の家系は安倍晴明(920年-1005年)の家系とルーツを同じくする、いわゆる遠縁にあたります。

しかし、ルーツが同じといっても、500年程遡らないと家系が交わらないのですが(汗)

参考:【安倍朝臣姓 土御門氏系図】

安倍首相は安倍晴明の『子孫』ではなく、『遠縁の子孫かもしれない』ということですね。

 

ちなみに、安倍晴明の直系の子孫である安倍氏嫡流土御門家は、平成まで続いていたようですが、平成5年に当主が亡くなり途絶えてしまったようです。

一方、土御門家から分流した倉橋家の家系はまだ続いているようなのです。

ただ、途中で養子なども入っているようなので、安倍晴明の血筋を引く子孫はもういないのかもしれません

蘆屋道満を継いだ子孫の謎と現代への影響

蘆屋道満は、平安時代の陰陽師であり、安倍晴明のライバルとして知られています。しかし、彼の子孫については多くの謎が残されております。その理由は、歴史の中で子孫たちの活躍があまり知られていないことや、彼らが所属していた家族や組織が他の陰陽師と比べて小さく、影響力が少なかったためです。

現代においても、蘆屋道満の子孫は陰陽道に関わりを持ち続けていると考えられますが、その具体的な姿や活動は明らかになっていません。しかし、彼らが進んだ道や継承した技術は、日本の文化や歴史に間接的な影響を与えていることは確かです。

陰陽師としての子孫の活躍

蘆屋道満の子孫たちは、陰陽道の知識や技術を受け継いで活躍しました。彼らは、天文や暦学、神道などの分野で優れた成果を上げ、平安時代の宮廷や貴族たちに重宝されていました。また、呪術や陰陽道に関する法術も幅広く継承し、多くの人々を救済してきました。

しかし、安倍晴明や賀茂保憲のような大陰陽師と比べて、彼らの子孫が歴史の表舞台に登場する機会は少なかったようです。それでも彼らは地味ながらも着実に活動し、日本の陰陽道や文化に貢献してきたと言えます。

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芸術と文学に描かれた安倍晴明と蘆屋道満

安倍晴明と蘆屋道満は、平安時代の陰陽師として数々の伝説や説話に登場します。彼らは文学や映画、漫画などのさまざまな芸術作品で描かれており、その存在感は大変大きいです。

安倍晴明はその美しい容姿と優れた陰陽道の技術、そして慈悲深い性格から多くの人々に愛され、彼の物語は現代まで受け継がれています。一方、蘆屋道満はその神秘的な雰囲気と卓越した技術を持つライバルとして描かれることが多く、彼の物語もまた魅力的なものとなっています。

こうした芸術作品を通じて、私たち現代人にも平安時代の陰陽師たちの活躍や彼らの持つ智慧が伝わってきます。そして、その知恵や技術が、今なお私たちの生活や文化に根付いていることを感じることができます。

古典文学に登場する二人の陰陽師

古典文学には、陰陽師の安倍晴明と蘆屋道満という二人の顕著な人物が登場します。安倍晴明は平安時代の日本で最も有名な陰陽師であり、陰陽道を極めたとされる存在です。彼は貴族の出身であり、天皇からの信任も厚く、数々の神秘的な儀式や占いの方法を編み出していました。また、晴明の子孫によって伝えられているという鬼よけの札やお守りも日本全国で広く利用されています。

一方、蘆屋道満は安倍晴明のライバルとして知られ、彼もまた陰陽道を極めた人物でした。しかし、道満は晴明とは異なり、遣唐使として中国に渡った経験があり、その地で学んだ道教の影響を受けました。帰国後はその知識を活かし、様々な陰陽術を駆使して活躍しましたが、彼の名前は時として陰険なイメージをもたらすことがあります。これは古典文学作品『葛の葉』や『今昔物語』などに登場する彼の姿が、利己的で悪辣な印象を与えることに起因します。

これらの作品を通じて、二人の陰陽師がどのように日本の古典文学や歴史の中で描かれているか、その人物像を理解することができます。

江戸時代の浮世絵や小説にみる晴明と道満

江戸時代になると、安倍晴明と蘆屋道満は浮世絵や小説などの芸術作品の題材として人気を博しました。浮世絵では二人が陰陽道の技を披露し、さまざまな怪奇現象や事件に対処する様子が描かれています。また、江戸時代の小説『世話になる晴明さん』や『道満博士原作金丸霊異譚』などでも彼らの活躍が描かれており、世間の関心が高まっていたことが伺えます。

このような江戸時代の作品においては、安倍晴明が正義感に満ちた英雄として描かれることが多く、悪を懲らしめる役割を果たしていました。一方、蘆屋道満は悪と結託し、邪悪な陰陽術を駆使する悪役として描かれることが多かったです。

浮世絵や小説を通じて、江戸時代の人々が二人の陰陽師をどのように捉えていたか、社会背景を含めて理解することができます。

現代の映画やアニメで描かれる二人の姿

現代においても、安倍晴明と蘆屋道満は映画やアニメなどの作品で度々登場します。これらの作品では、彼らが陰陽師としてのテクニックを駆使しながら、現代の日本でさまざまな怪奇現象や事件に対処する様子が描かれています。

例えば、映画『陰陽師』やアニメ『京都寺町三条のホームズ』などでは、安倍晴明と蘆屋道満が共に主人公として活躍します。また、彼らが登場する映画やアニメにおいては、現代の視点から見た陰陽道の奥義が随所に盛り込まれており、視聴者に新たな発見や驚きを提供しています。

これらの現代作品を通じて、古典文学や江戸時代の浮世絵・小説から進化した安倍晴明と蘆屋道満の姿を楽しむことができます。

様々なメディアに登場する安倍晴明

安倍晴明は様々なメディアに登場しています。

多くの場合、正義の味方として描かれることが多いのですが、例えば漫画『ぬらりひょんの孫』では、悪役として描かれるなど、幅広い役柄で活躍しています(笑)

数ある安倍晴明に関する作品の中でも、外すことができないものが小説『陰陽師』です。

作家、夢枕獏による伝奇小説で、安倍晴明の活躍をシリーズ作品として多数出版しています。

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この小説をもとに、TVドラマ化、映画化、漫画化、舞台化が多数行われており、現代の安倍晴明像に対し、最も大きな影響を与えた作品と言えます。

 

映画化されたもので言えば、2001年に映画【陰陽師】が公開されています。

野村萬斎が演じる安倍晴明の活躍を描いた映画で、2003年には続編『陰陽師II』も公開されています。

他のキャストには、海猿で有名な『伊藤英明』や、スカッとジャパンで有名な『木下ほうか』、不倫議員で有名な(笑)『今井絵理子』なども登場しています。

 

ちなみに、この映画陰陽師のサウンドトラックを用いて、羽生結弦選手が男子史上初の3連覇を達成しています。

このフリー演技の題名が『SEIMEI』で、安倍晴明をイメージして、羽生結弦選手自ら命名しました。

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安倍晴明と蘆屋道満が残した遺跡や寺社巡り

平安時代に活躍した陰陽師・安倍晴明と蘆屋道満は、日本各地に足跡を残しています。その遺跡や寺社巡りは、歴史や伝説に興味を持つ方に大変魅力的です。

安倍晴明は、古代日本の天文暦や陰陽道に精通し、多くの人々から信頼されていました。一方、蘆屋道満は、元々は陰陽師だったが、後に狐に憑かれてしまい、様々な事件に巻き込まれたとされる人物です。

陰陽師の世界に触れることができる遺跡や寺社巡りでは、安倍晴明の名前にちなんだ京都の晴明神社や、蘆屋道満伝説にまつわる播磨の地にある名所などがあります。

また、それぞれの地域で発見できる資料や写真、伝説の説話を参考にして、その時代の文化や風習に触れられるのも魅力の一つです。

安倍晴明の霊を祀る晴明神社の魅力

京都市にある晴明神社は、安倍晴明の霊を祀る神社で、多くの人が訪れます。境内には、安倍晴明の子孫である晴明公を祀る本殿や、彼が使ったとされる陰陽道の道具を展示する博物館があります。

また、神社には晴明の功績を称えるための境内社や、彼が陰陽道を習得するために訪れたとされる場所が点在しています。境内には、陰陽道の教えに基づいて配置された12の石碑があり、各地から訪れる観光客にとっても見どころのひとつです。

晴明神社周辺には、安倍晴明ゆかりの地や、彼が関与したとされる寺社もあり、歩いて周ることができます。

晴明神社を訪れることで、陰陽師・安倍晴明に思いを馳せることができます。

蘆屋道満伝説にまつわる観光スポット

蘆屋道満と関わりのある観光スポットには、播磨の地にある名所があります。播磨には、道満が狐に憑かれ、祟りを受けたとされる地が点在しています。

その中でも、蘆屋道満が狐に憑かれたとされる播磨地方の蘆屋道満神社は、地元民に親しまれる神社であり、観光客にも人気があります。

また、蘆屋道満の伝説にまつわる寺院や史跡も見どころのひとつで、観光客にとって興味深い場所です。

これら蘆屋道満ゆかりの地を訪れることで、陰陽師・蘆屋道満という存在やその伝説に触れることができます。

 

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まとめ:陰陽師・安倍晴明と蘆屋道満の知られざる世界

安倍晴明は小説や映画などのメディアの中だけでなく、史実上でも、占術や呪術によって朝廷に貢献した記録が残っています。

その効果の真偽はわかりませんが、安倍晴明が陰陽師以外にも様々な官職に就き、様々な逸話を残していることを考えると、本当に不思議な力を使いこなしていたのかもしれませんね。

安倍晴明の血筋としては、もう途絶えてしまっている可能性が高いのですが、安倍晴明の伝説自体はまだまだ後世に続いていくことでしょう。

陰陽師・安倍晴明と蘆屋道満の世界を感じられる遺跡や寺社巡りは、歴史や伝説に興味を持つ人におすすめです。京都の晴明神社や播磨の蘆屋道満神社など、さまざまな観光名所があります。ぜひ、次の旅行の際にはこれらのスポットを訪れてみてください。

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