仏教が日本に初めて登場したのは、飛鳥時代と言われています。
飛鳥時代から現代まで、1000年以上の時を経て現在まで続いている仏教。
様々な宗派があり、それら代表的なものを日本仏教13宗と呼びます。
この13宗を大きく分けると、以下の様に分類することができます。
日本仏教の三部作といったところですね。
興味深い日本の歴史の一部である仏教。奈良時代と平安時代では、それぞれ独自の発展を遂げ、多くの宗派が誕生しました。この記事では、奈良仏教と平安仏教の違いや魅力を具体的に解説し、それぞれの時代の仏教がどのように日本の歴史や文化に影響を与えたのかを説明します。また、空海による真言宗や最澄による天台宗など、それぞれの宗派の特徴や影響力も触れていきます。
是非、この記事を読むことで奈良仏教と平安仏教の違いを理解し、日本の仏教文化に触れる機会にしていただければと思います。
奈良仏教とは
仏教が日本に初めて登場したのは飛鳥時代と言われています。
日本に伝わった当初は、仏教賛成派と否定派で様々な争いがありました。
ですが、結果的に仏教文化は日本に根付くこととなります。
その後、徐々に仏教は広まり、奈良時代には仏教もいくつかの宗派に分かれるようなりました。
しかし、平安仏教や鎌倉仏教などのように、広く教えを伝えるというよりも、国の学術研究機関としての役割が強かったのも特徴です。
今で言うならば、国立大学のようなものでしょうか。
信仰を広めるのではなく、仏教研究を進める僧や、それを学ぶ学僧のためのものだったのです。
この奈良時代に始まった宗派のことを、奈良仏教と呼んでいます。
奈良仏教は日本仏教の歴史において、仏教の確固たる地位を築いたと言っても過言ではありません。
奈良仏教の宗派6つ
奈良仏教の中でも、特に栄華を極めた宗派が6つあります。
それら宗派は「南都六宗」と呼ばれています。
南都六宗
- 法相宗:開祖 道昭 本山 興福寺、薬師寺
- 華厳宗:開祖 審祥 本山 東大寺
- 律宗 :開祖 鑑真 本山 唐招提寺
- 三論宗:衰退
- 成実宗:衰退
- 倶舎宗:衰退
この「南都」とは、奈良時代の都である平城京を意味しています。
後の都である平安京よりも南に位置するため、南都としています。
打倒奈良仏教!で広まった平安仏教
奈良仏教とよく対比されるのが、平安時代に始まった平安仏教です。
この2つの宗派を「平安二宗」と呼びます。
この平安二宗は、後の鎌倉仏教にも大きな影響を与えることとなります。
なぜ平安仏教が奈良仏教と対比されるかというと、平安二宗の両者は、奈良仏教の「ライバル的な位置付け」として、日本に広められた宗派だからです。
当時、奈良仏教は国との結びつきも強く、栄華を極めていたため、各寺院は相当な権力を有していました。
そのため、政治に関与することもしばしば。
この奈良仏教の力を弱める目的で「最澄」と「空海」は中国に派遣され、奈良仏教に変わる新しい仏教を日本に持ち帰ることとなりました。
奈良仏教と平安仏教の違いに迫る
奈良時代と平安時代における仏教の違いについて解説いたします。奈良時代の仏教は、中国からの影響を受けて成立し、国家的な保護のもとで繁栄しました。一方、平安時代の仏教は、貴族社会の中心で発展しました。
奈良仏教と平安仏教の違いについては、主に成立の背景や宗教観、寺院の所在地などから考察できます。
奈良仏教の成立と発展:中国からの影響
奈良仏教は、飛鳥時代から奈良時代にかけての日本で発展しました。この時期、仏教は中国からの影響が強く、唐の国家政策に基づいた仏教が導入されました。そのため、天皇や貴族を中心に政治や文化に深く関与しており、国家の保護のもとで大きく発展しました。
奈良時代の仏教では、六宗と呼ばれる宗派が主流で、それぞれの宗派が異なる教えを持っていました。それらの宗派は、天台宗、真言宗、浄土宗、法華経系など、その後の日本仏教に大きな影響を与えました。
また、奈良仏教が栄えた寺院は、奈良や京都を中心に建立されており、その多くは現在も残っています。
平安仏教の誕生:貴族社会の中心へ
平安仏教は、平安時代に日本で発展した仏教で、当時の貴族社会の中心となりました。つまり、寺院は天皇や貴族との繋がりが強く、政治的な権力が大きかった時代です。
平安仏教は、奈良仏教から独自の教えを持つ宗派が登場することが特徴です。例えば、最澄が創始した天台宗は、密教と大乗仏教を組み合わせた独自の教えを持ち、比叡山延暦寺を中心に発展しました。また、空海が創始した真言宗は、密教と呼ばれる教えを広め、中国の密教経典を基に独自の体系を築いたのです。
平安仏教が栄えた寺院は、京都を中心に建立され、今もその姿を留めています。奈良仏教と平安仏教、それぞれの時代に応じた特徴や背景を理解することで、日本仏教の成り立ちや発展の歴史を深く知ることができます。
空海と密教:真言宗の特徴と現代への影響
空海は、平安時代の日本の僧侶で、真言宗の開祖です。彼は中国から密教を伝え、日本の仏教界に大きな変化をもたらしました。真言宗の特徴は、真言(真の言葉)を唱えることで、仏と一体化するという信仰です。この信仰は、密教の世界観に基づいており、自然と人間を仏の化身として捉えるという考えが根底にあります。また、真言宗では、修行の方法として、密教独特の法具やマントラを用いた密教行が行われます。
真言宗は、空海が創設した高野山や、密教の総本山である東寺など、多くの寺院が現在も日本各地にあります。これらの寺院は、多くの人々に信仰や文化の拠り所となっており、真言宗の教えが日本の歴史や文化に深く根ざしていることがわかります。また、真言宗は、現代においてもその影響が続いており、大学で研究される仏教学の分野や、歌舞伎や能楽などの演劇や芸術にもその痕跡が見られます。空海が伝えた真言宗の教えは、日本仏教の発展に大きく貢献し、現代にもその影響が続いているのです。
最澄と天台宗:広がる信仰の多様性
最澄は、平安時代の日本の僧侶で、天台宗の開祖です。彼は、中国の天台宗を日本に伝えることで、日本の仏教界に新たな信仰の形を広めました。天台宗の特徴は、一切の法(現象)が仏の教えを含んでいるという、一切衆生悉有仏性という考え方です。この考え方は、すべてのものが仏であるという広い視点から、信仰の対象を多様化させました。
また、天台宗では、修行の方法として、経典の学習や、止観という瞑想方法が用いられます。これにより、仏の教えに触れる機会が増え、信仰が広まりました。天台宗は、比叡山延暦寺を拠点として、日本全国に多くの寺院が建設されました。これらの寺院は、多くの信者に影響を与え、日本の信仰の多様性に寄与しています。最澄が開祖となる天台宗は、日本仏教の発展に貢献し、現代にもその影響が続いています。
世界観の変化:浄土宗と浄土真宗の出現
平安時代末期から鎌倉時代にかけて、日本の世界観は大きく変化し、新しい仏教宗派が出現しました。その代表的なものが、浄土宗と浄土真宗です。浄土宗は、法然が開祖であり、極楽浄土という生まれ変わりの地へ行くことを願う信仰です。これに対し、浄土真宗は、親鸞が開祖であり、阿弥陀如来の本願力により救済されるという信仰です。
平安時代後期の社会は、貴族中心の政治から武士政権への移行が始まり、多くの人々が救いを求めるようになりました。このような背景から、浄土宗や浄土真宗のような、広く大衆に受け入れられる教えが生まれたのです。世界観の変化に伴い、これらの宗派は日本仏教の発展に大きく寄与し、現代までその影響が続いています。
奈良仏教と平安仏教の違いは
奈良仏教と平安仏教の違いは、「顕教か密教か」ということに集約されます。
最大の違い
- 奈良仏教:顕教
- 平安仏教:密教
顕教とは
経典で文章として、顕(読:あらわ/意:はっきりと)に記された教えです。
経典としてテキストがあるものですから、信者には広く教え伝えることができるものです。
元々、密教が誕生するまでは存在しない単語でしたが、空海が密教に対する言葉として使ったものになります。
弁顕密二教論(べんけんみつにきょうろん)という空海の著書の中で語られました。
悪い言い方をするのであれば「密教の方が格上だ」とする蔑称のようなものですね。
この中で既存の経典を密教と顕教に分類しました。
顕教の経典
- 華厳経
- 法華経
- 般若経
- 涅槃経
- etc
なぜ分類をはかったのかと言えば、密教の優位性を示す為。
圧倒的に不利な状況から、真言宗を繁栄させるための空海の策と言えるものでしょう。
密教とは
概念的な教えといったところです。
はっきりとは書かれていないものを、仏教を深く学ぶことで見えてくる「秘密の教え」になります。
言いかえるなら…
「仏の教えとは人智を越えた尊いもの。全てを文字や言葉に表すのは難しく、経典に書かれていること(=顕教)は教えの上っ面である。真意は文章の中ではなく行間にある。一見すると分かりにくい秘密の教え(=密教)こそ真意なのだ」
ということです。
密教の経典
- 大日経
- 金剛頂経
- 理趣経
- etc
顕教が信者に広く教え伝えるものであることに対し、密教は儀式や法具などを用いて伝えるのみです。
「深く難しい概念を広く伝えられる術などあるはずがない」ということですね。
空海はこの論説でもって、既存の平安仏教に対抗し、見事、真言宗の圧倒的な地位を築き上げたということですね。
各時代の仏教:奈良・平安・鎌倉時代を比較
日本の仏教は、歴史の中で様々な変遷を辿り、それぞれの時代において独自の発展を遂げました。ここでは、奈良時代、平安時代、鎌倉時代のそれぞれの仏教の特徴を比較し、その背後にある理由や影響を解説します。
奈良時代の仏教は、飛鳥時代から引き続き国家への影響力が強く、その目的は国家の安定や繁栄にありました。一方で、平安時代には密教が伝わり、密教の影響を受けた天台宗や真言宗が登場しました。最後に、鎌倉時代では、浄土宗や日蓮宗などの新しい宗派が誕生し、仏教はより広く民間に広まりました。
飛鳥時代から奈良時代:仏教の国家への影響
飛鳥時代から奈良時代にかけての仏教は、国家の保護を受けて発展しました。仏教が初めて日本に伝わったのは、飛鳥時代初期で、中国や朝鮮半島を経由して日本に伝わりました。仏教の目的は、国家の安定や繁栄を願うことであり、国家と緊密な関係を持っていました。そのため、仏教は国家権力に大きな影響を及ぼしました。
奈良時代には、仏教の中心地が飛鳥から奈良へと移ります。この時代には、多くの寺院、僧侶、そして六国史などの仏教文化が栄えました。また、遣唐使として僧侶が唐に留学し、新たな仏教文化を日本に持ち込んだことも特徴的です。
平安時代:仏教の密教化とその影響
平安時代には、密教が日本に伝わり、新たな仏教文化が形成されました。この時代には、空海によって真言宗が開かれ、最澄によって天台宗が開かれました。これらの宗派は、密教を取り入れた教えを説き、従来の仏教とは異なる独自の発展を遂げました。
平安時代の仏教は、宮廷や貴族社会に大きな影響を与えました。密教によって、仏教は祈祷的な要素が強まり、人々は災厄や病気の回避を求めて仏教に信仰を寄せました。また、平安時代の仏教は、悟りを求める修行の方法としても重要視されました。
鎌倉時代:庶民への仏教普及と宗教改革
鎌倉時代は、仏教が庶民に普及し、宗教改革が起こった時代である。それまでの平安時代においては、仏教は主に貴族や僧侶の間で信仰されていたが、鎌倉時代を中心に庶民にも広まった。その理由は、平安時代の終わりに政治の中心が京都から鎌倉に移り、新たな政治体制が樹立されたことが大きな要因である。
また、鎌倉時代においては、新しい仏教教義が誕生し、それまでの宗派とは異なる特徴を持っていた。例えば、浄土宗は念仏を唱えることで極楽往生が期待できるという教えが一般の人々に広まり、易しい信仰方法として受け入れられた。同じく日蓮宗では、法華経のみに依拠しているため、庶民にもわかりやすいとされ、広く信仰されるようになった。
このような背景により、鎌倉時代は仏教改革の時代とも言われている。それまでの密教や天台宗などの比較的難解な教えから、庶民にもわかりやすい教えに転換することで、ひとりひとりの救済を目指す仏教が広まった。これにより、仏教の普及が進み、多くの寺院が建立されるなど、日本国内の仏教文化が大きく発展したと言われている。
仏教の現代への影響とその意義
仏教は現代の日本社会にも大きな影響を与えており、その意義は多岐にわたる。仏教の思想や教えは、人々の心の安らぎや人間関係の調和、自己改善や成長を促すことにつながるとされる。
また、仏教には「悟り」や「縁」といった概念があり、これらは現代のストレス社会においても多くの人々が共感し、助けとなる価値観である。例えば、悟りとは自らの無知や欲望を捨て去り、真の自己を見つけることで、人間関係や職場環境などの様々な問題に対処しやすくなる。
一方、仏教は現代の日本文化や芸術、建築などにも大きな影響を与えている。仏教寺院や仏像、絵画や茶の湯文化など、日本文化の多くの要素は、仏教の教えや影響から生まれたものである。これらの文化的影響は、日本が国際舞台で評価される要因の一つでもあり、日本人自身のアイデンティティを形成する上で重要な役割を担っている。
仏教文化の現代日本への影響:寺院や行事
仏教文化は現代日本の寺院や行事にも大きな影響を与えている。全国に広がる寺院は、その歴史や建築、仏像などで多くの人々を魅了し、観光地としても賑わっている。特に、京都や奈良の古刹は国宝に指定されるほどの価値があり、国内外から多くの観光客が訪れる。
また、仏教行事は日本の暮らしに根ざしたもので、年中行事のひとつとして親しまれている。盆やお彼岸、お寺での初詣やお経の読経、お盆の送り火など、これらの行事は仏教文化と密接に関連しており、悪縁を絶ち良縁を結ぶことや先祖供養の精神が活かされている。仏教行事は現代の日本人にとっても大切なものであり、家族や地域とのつながりを大切にする精神を育む機会となっている。
仏教思想が形成する日本人の心象風景
仏教は、奈良時代から日本人の心象風景を形成してきました。仏教が導入された当時、日本の宗教的背景は中国の密教や天台宗などが中心でした。それらの宗派はすべて、真言宗や天台宗といった平安時代に発展します。
仏教思想は日本人の生活や精神性に大きな影響を与え、美術や文化にも多くの貢献をしました。また、政治や貴族とも密接な関係があり、飛鳥時代から平安時代にかけて国家と仏教が一体となって発展しました。
さらに江戸時代には禅や曹洞宗、浄土真宗など、多くの宗派が日本各地に広がりました。このような経緯を経て、現在の日本人の心象風景に仏教が深く根ざしています。
現代の日本人が仏教に親しむ要素として、寺院や宗教的な行事、祈りやお経などの宗教的要素があります。これらの要素は日本人の心象風景を豊かにし、私たちの日常生活に潤いを与えてくれています。
現代社会における仏教の役割と可能性
現代社会において、仏教は個人の精神性や人間関係へのアプローチをもたらしています。例えば、経済成長や技術革新が進む現代社会では、物質的な豊かさが増す一方で、心の充足感を持つことが難しくなっています。しかし、仏教は心の平和や悟りを求める手法を提供しており、現代人の精神性の向上に寄与しています。
また、現代社会においても、仏教は様々な慈善活動や社会貢献活動に関与しています。僧侶や寺院は地域の社会福祉活動に取り組むことで、現代社会の課題解決に役立っています。
さらに、仏教は環境問題や人権問題など、現代社会において重要な課題に対しても、積極的に取り組んでいます。これらの活動により、仏教は現代社会においても大きな役割を果たし、その可能性は拡大しています。
まとめ:奈良仏教と平安仏教の違いを理解しよう
奈良仏教の登場によって、仏教は日本文化の中に確固たる地位を築きました。
また奈良仏教と平安仏教の関係から、かつての日本では政治と宗教が密接に関係していたことが垣間見えます。
奈良時代の仏教は、中国や天台宗などを基にし、平安時代には真言宗や天台宗の発展を見ることができます。
また、仏教は日本人の心象風景を豊かにし、現代社会にも多くの可能性を秘めています。
今でも宗教統治をする国家は数多くあります。
空海と最澄が、もし失敗していたら・・・
日本も仏教が統治する国家になっていたかもしれませんね。
まぁ…現在では仏教よりも他の宗教の方が政治に入り込んでいることが多いですが。