伝統仏教の中には禅宗がふたつあります。
曹洞宗(そうとうしゅう)と臨済宗(りんざいしゅう)ですね。
同じ禅宗であるので、共通部分はあるものの、異なる部分もあるのです。
両者の違いを細かくまとめました。
曹洞宗と臨済宗について
ともに日本仏教13宗に含まれる宗派で、日本には鎌倉時代に伝わった宗派です。
どちらも鎌倉仏教と呼ばれ、禅を重んじる禅系宗派は同じ。
日本に伝わった曹洞宗と臨済宗は、中国の禅宗五家が元であると言われています。
禅宗五家
- 臨済
- 潙仰
- 曹洞
- 雲門
- 法眼
曹洞宗とは
概要
- 開祖:道元(どうげん)
- 本山:永平寺(えいへいじ)/福井県
- 本山:總持寺(そうじじ)/神奈川県
曹洞宗の開祖は、中国から仏法を伝えた道元ですが、曹洞宗を全国に広めたのは瑩山(けいざん)です。
曹洞宗では両名を両祖とし、重んじています。
本山が2か所ある理由は、永平寺を建立したのが道元、総持寺は瑩山が能登半島にあった寺を譲り受け、総持寺へ改名したものです。
能登半島の寺は火災により焼失、その後、横浜の鶴見へ移転となりました。
要は、両者ゆかりのお寺を共に本山としているということですね。
曹洞宗の教義では、人間はみな生まれながらにして「仏心(仏と同じ心)」を持っているものの、普段の生活ではその心に気づくことはないと考えています。
そのため坐禅を組み、自分の中にある仏心を見出すことを目的としています。
また仏心をもつ人間が坐禅によって、身も心もやすらぎを得た姿こそ「仏の姿」と考えています。
仏教宗派はその多くが○○派と、分派していることが多いですが、曹洞宗に分派はありません。
臨済宗とは
はてな
- 開祖:栄西
- 本山:南禅寺、京都五山、鎌倉五山
日本に臨済宗を伝えた開祖は、一般的には栄西とされています。
しかし臨済宗の公式HPによると、現在の臨済宗の開祖を栄西とするのは、少し違うのではないかと説明されています。
日本に始めて臨済禅を伝えたのは栄西禅師ですが、それは二十四流の中の一つであって、学校教科書などで日本臨済宗の開祖を栄西禅師と記述するのは適当ではないと思われます。
臨済宗は多数の分派がなされている宗派です。
栄西はあくまで一流派をもたらしただけなので、臨済宗の開祖とするには間違いなのではないか、ということですね。
※公式見解ではあるものの、一般教養としては栄西というのが通説になっています。
現在の日本臨済宗を確立したのは、白隠慧鶴(はくいんえかく)という人物とされています。
かなり小難しいですが、師事の関係を表した法系図というものが公開されています。
ぜひ、ご参照してみてください。
臨済宗の大きな特徴は「代々悟りを受け継いできている」ということにあります。
本来、悟りとは言葉で表現できない感覚的なものです。
それをどのように受け継ぐのかというと・・・
詳しくは後述しますが、公案と呼ばれる禅問答によって引き継いでいくのです。
また面白い特徴として、代々悟りを受け継ぐとは言いつつも、必ずしも新しい師匠が悟りを受け継いでいるとは限らないということです。
つまり悟りを開いていない師匠が、弟子に悟りを受け継ぐというよく分からないこともあり得るということです。
「えっ、じゃあ、伝言ゲームみたいに悟りの内容がコロコロ変わってるんじゃないの?」と言いたくなりますが、そうならないように悟りの受け継ぎ方に工夫がされています。
曹洞宗と臨済宗の違い
曹洞宗と臨済宗の大きな違いは「禅」にあります。
両者とも、禅に重きを置いていることは共通していますが、その禅に対する思想、やり方は全く異なっています。
また曹洞宗と臨済宗の禅は、その思想の違いから禅の名称が異なります。
ポイント
- 曹洞宗:黙照禅(もくしょうぜん)
- 臨済宗:看話禅(かんなぜん/かんわぜん)
曹洞宗の黙照禅とは
黙照禅とは、ひらすら禅に徹するということです。
曹洞宗の教義にもあるように、本来、人には仏心が備わっていると考えています。
そのためどこかに悟りがあるだとか、誰かに悟りを教えてもらうだとかではなく…
「自分自身の中にある仏心を見出すことこそが悟り」と考えています。
曹洞宗では坐禅で黙々と自分自身に向き合い、また坐禅をする姿こそ仏の姿と考えています。
極端な言い方をすると「ただ坐禅を組むことが目的になっている」とも言えます。
黙々と坐禅を組む姿を臨済宗が黙照禅と揶揄したことが、曹洞宗が黙照禅と呼ばれるようになった始まりです。
ただし、曹洞宗側もこの呼び方を受け入れ、自ら黙照禅と呼ぶようになりました。
今では揶揄された当初のマイナスイメージは一切持たれていません。
臨済宗の看話禅とは
一方、臨済宗の看話禅とは、公案と呼ばれるお題(問題)を問答する方法です。
いわゆる禅問答ですね。
公案に対して考え抜くことで答えを見出し、それにより、悟りに近づくことができるという思想です。
そしてこれこそが代々「悟りを受け継ぐ手法」とされています。
宋代以降、公案の記録は残されています。
その公案集を元にして代々、師から弟子への問答を繰り返すことで、悟りを開いていない師匠でも弟子に悟りを受け継ぐことが可能となっているのです。
公案(=禅問答)は、正解のない理不尽な問題(無理会話)ばかりです。
例えば、有名な公案の一つに「隻手の声」というものがあります。
白隠が修行者たちを前にしてこう言った。
「隻手声あり、その声を聞け」 (大意:両手を打ち合わせると音がする。では片手ではどんな音がしたのか、それを報告しなさい。)
一見すると「片手では音がするはずが無い」と答えたくなる問題ですね。
しかし、それは人の常識(先入観)による答えです。
人としての理解を越えて、答えを見出すことが悟りであり、人智を越えた思想こそが悟りには必要ということです。
この変にとんちの効いた問答は、どこかで見聞きしていると思いませんか?
そう、かの有名な「一休さん」です。
彼もまた臨済宗の僧だったのです。
実在する人物ですが、アニメの方が有名でしょうか。
無理難題を一休さんが持ち前のとんちで解決していくストーリーです。
あれは禅問答の一幕だったということですね。
禅の組み方の違い
坐禅の組み方もそれぞれ違っています。
曹洞宗の座禅の組み方
曹洞宗が禅を組むときは、壁に向かって禅を組みます。
これを「面壁坐禅(めんぺきざぜん)」と呼びます。
中国禅宗の祖とも言えるべき達磨大師は、なんと九年もの長きに渡り坐り続け、その様は「面壁九年(めんぺきくねん)」という言葉とともに残っています。
禅のルーツを辿ると面壁に行きつく、ということですね。
曹洞宗公式HPに坐禅の組み方のムービーがあります。
壁に向かって坐禅を組んでいるのがわかるでしょう。
臨済宗の座禅の組み方
一方、臨済宗では面壁坐禅を行わず、人と向かい合って坐禅を組みます。
「なぜ曹洞宗は面壁坐禅で、臨済宗が面壁坐禅を行わないのか?」については、はっきりとした見解が示されていません。
そもそも中国の禅宗始まり当初も、面壁坐禅が基本でした。
つまり、いつからか臨済宗が面壁坐禅を止めてしまったということです。
師との問答(公案)の中で悟りを見出す臨済宗では、壁ではなく人と向き合って答えを出す(悟りを開く)という思いを込めているのかもしれません。
まとめ
曹洞宗も臨済宗も、同じ禅系の宗派でありながら、その「禅に対する思想」に大きな違いがあります。
どちらの思想、どちらのやり方が正しいのかというと・・・
それこそ正に禅問答ですね。
ちなみに曹洞宗の宗祖、道元の生涯を描いた「ZEN(禅)」という映画があります。
2009年に公開された映画で、高評価レビューも多くついていますから、ご興味あればご覧になってみてはいかがでしょうか。
主演キャストもなかなかに豪華なものです。
主演キャスト
- 中村勘太郎
- 内田有紀
- 藤原竜也
プライム会員であれば、今すぐ無料で視聴が可能ですよ。