日本の禅宗には多くの宗派が存在しますが、その中でも特に有名なのが臨済宗(りんざいしゅう)と曹洞宗(そうとうしゅう)です。
これら二つの宗派は、日本禅宗の代表格とも言われ、その歴史や教えには違いがあります。
しかし、一般的な仏教徒にとっては、それらの違いが明確でないことが多いです。
そこで、この記事では臨済宗と曹洞宗の違いや歴史について解説し、以下のような内容で詳しく述べていきます。
- - 日本禅宗の二大宗派:臨済宗と曹洞宗
- - 開祖:道元と栄西の教え
- - 修行方法:座禅と公案
- - 重要視される言葉や概念
また、歴史の流れや文化的な影響、一般人が知るべき禅宗の教えも紹介します。
この記事を読むことで、禅宗に対する理解が深まり、それぞれの宗派が持つ特徴や意味を把握できるでしょう。
同じ禅宗であるので、共通部分はあるものの、異なる部分もあるのです。
両者の違いを細かくまとめました。
曹洞宗と臨済宗について
日本における禅宗には、主に曹洞宗と臨済宗という二つの大きな宗派が存在します。
ともに日本仏教13宗に含まれる宗派で、両宗派は共に中国の禅宗を起源とし、日本には鎌倉時代に伝わった宗派です。
曹洞宗と臨済宗の違いは、それぞれの宗派が持つ修行方法や教えの特徴にあります。
曹洞宗は、道元禅師が提唱した座禅を中心とした修行法を重視し、公案や禅問答による修行が一般的です。一方、臨済宗では、禅問答や公案を用いた問答を中心に、自己との向き合いを大切にしています。
どちらも鎌倉仏教と呼ばれ、禅を重んじる禅系宗派は同じ。
日本に伝わった曹洞宗と臨済宗は、中国の禅宗五家が元であると言われています。
禅宗五家
- 臨済
- 潙仰
- 曹洞
- 雲門
- 法眼
日本禅宗の二大宗派:臨済宗と曹洞宗
日本の禅宗には、曹洞宗と臨済宗という二大宗派があります。曹洞宗は、道元禅師が創立し、座禅を中心とした修行法を重視しています。一方、臨済宗は、栄西禅師が開いた宗派であり、公案を用いた問答を中心に修行が行われます。
両宗派は、どちらも鎌倉時代に中国から日本へ伝わり、その後日本独自の発展を遂げました。鎌倉時代以降、日本の禅宗は社会の中心であり、武士や僧侶のみならず、一般の人々にも広まりました。現在では、全国に多くの曹洞宗や臨済宗の寺院があり、多くの人々が訪れる観光地となっています。
初めに理解すべき臨済宗と曹洞宗の基本概念
禅宗における最も重要な概念は、「悟り」と「修行」です。ここでいう悟りとは、自己と宇宙の一体化を認識し、真の自分を見出すことを指します。修行は、悟りに至るために行う精神的鍛錬のことです。
曹洞宗では、「座禅」を行うことで、心を静めて自己と向き合い、悟りへの道を進むことが重視されます。一方の臨済宗では、「禅問答」や「公案」を用いて、自己と向き合いながら、悟りへの道を進みます。
これらの概念を理解することで、曹洞宗と臨済宗の違いが明らかになります。
開祖から見る:道元と栄西の教え
曹洞宗と臨済宗の違いは、開祖である道元禅師と栄西禅師の教えにも現れています。道元禅師は、「座禅」を通じて自己と宇宙の一体化を目指すことを説き、曹洞宗の基本的な教えを確立しました。
一方、栄西禅師は、「禅問答」や「公案」を用いた修行を重視し、自己と向き合いながら、悟りを目指すことを説いています。
このように、曹洞宗と臨済宗は、それぞれ異なる開祖の教えが反映されており、修行方法や重視する概念に違いが生じています。これが曹洞宗と臨済宗の違いの根本にあると言えるでしょう。
曹洞宗とは
概要
- 開祖:道元(どうげん)
- 本山:永平寺(えいへいじ)/福井県
- 本山:總持寺(そうじじ)/神奈川県
曹洞宗の開祖は、中国から仏法を伝えた道元ですが、曹洞宗を全国に広めたのは瑩山(けいざん)です。
曹洞宗では両名を両祖とし、重んじています。
本山が2か所ある理由は、永平寺を建立したのが道元、総持寺は瑩山が能登半島にあった寺を譲り受け、総持寺へ改名したものです。
能登半島の寺は火災により焼失、その後、横浜の鶴見へ移転となりました。
要は、両者ゆかりのお寺を共に本山としているということですね。
曹洞宗の教義では、人間はみな生まれながらにして「仏心(仏と同じ心)」を持っているものの、普段の生活ではその心に気づくことはないと考えています。
そのため坐禅を組み、自分の中にある仏心を見出すことを目的としています。
また仏心をもつ人間が坐禅によって、身も心もやすらぎを得た姿こそ「仏の姿」と考えています。
仏教宗派はその多くが○○派と、分派していることが多いですが、曹洞宗に分派はありません。
臨済宗とは
はてな
- 開祖:栄西
- 本山:南禅寺、京都五山、鎌倉五山
日本に臨済宗を伝えた開祖は、一般的には栄西とされています。
しかし臨済宗の公式HPによると、現在の臨済宗の開祖を栄西とするのは、少し違うのではないかと説明されています。
日本に始めて臨済禅を伝えたのは栄西禅師ですが、それは二十四流の中の一つであって、学校教科書などで日本臨済宗の開祖を栄西禅師と記述するのは適当ではないと思われます。
臨済宗は多数の分派がなされている宗派です。
栄西はあくまで一流派をもたらしただけなので、臨済宗の開祖とするには間違いなのではないか、ということですね。
※公式見解ではあるものの、一般教養としては栄西というのが通説になっています。
現在の日本臨済宗を確立したのは、白隠慧鶴(はくいんえかく)という人物とされています。
かなり小難しいですが、師事の関係を表した法系図というものが公開されています。
ぜひ、ご参照してみてください。
臨済宗の大きな特徴は「代々悟りを受け継いできている」ということにあります。
本来、悟りとは言葉で表現できない感覚的なものです。
それをどのように受け継ぐのかというと・・・
詳しくは後述しますが、公案と呼ばれる禅問答によって引き継いでいくのです。
また面白い特徴として、代々悟りを受け継ぐとは言いつつも、必ずしも新しい師匠が悟りを受け継いでいるとは限らないということです。
つまり悟りを開いていない師匠が、弟子に悟りを受け継ぐというよく分からないこともあり得るということです。
「えっ、じゃあ、伝言ゲームみたいに悟りの内容がコロコロ変わってるんじゃないの?」と言いたくなりますが、そうならないように悟りの受け継ぎ方に工夫がされています。
曹洞宗と臨済宗の違い
曹洞宗と臨済宗の大きな違いは「禅」にあります。
両者とも、禅に重きを置いていることは共通していますが、その禅に対する思想、やり方は全く異なっています。
また曹洞宗と臨済宗の禅は、その思想の違いから禅の名称が異なります。
ポイント
- 曹洞宗:黙照禅(もくしょうぜん)
- 臨済宗:看話禅(かんなぜん/かんわぜん)
曹洞宗と臨済宗は、いずれも日本の禅宗の中で代表的な宗派ですが、修行方法に違いがあります。
曹洞宗では、座禅を中心とした修行が行われており、自分の心と向き合い、静寂の中で悟りを開くことを目的とします。一方、臨済宗では公案と呼ばれる問題を用いた修行が重視されます。公案は禅の教えを具現化した問いであり、それに対する答えを導き出すことで、無意識的な状態へのアプローチを図ります。
どちらも禅の精神を体現する方法ですが、曹洞宗は内省に重きを置き、臨済宗は問題解決や自己と向き合う力を養うことを目指します。
それぞれの宗派で重要視される言葉や概念
曹洞宗と臨済宗では、それぞれ重要視される言葉や概念が異なります。
- 曹洞宗では、「只管打坐」という言葉がよく使われます。これは、座禅に専心することで自己の内面と直接向き合い、悟りを得ることを意味します。
- 臨済宗では、「無門関」という概念が重視されます。これは、公案修行を通して、言語や論理を超えたところで真理に触れることを目指すもので、先入観や知識の枠を超えた境地を求めます。
それぞれの宗派は、独自の修行方法や言葉を通じて、禅の教えを理解し、実践することを目指しています。
曹洞宗の黙照禅とは
黙照禅とは、ひらすら禅に徹するということです。
曹洞宗の教義にもあるように、本来、人には仏心が備わっていると考えています。
そのためどこかに悟りがあるだとか、誰かに悟りを教えてもらうだとかではなく…
「自分自身の中にある仏心を見出すことこそが悟り」と考えています。
曹洞宗では坐禅で黙々と自分自身に向き合い、また坐禅をする姿こそ仏の姿と考えています。
極端な言い方をすると「ただ坐禅を組むことが目的になっている」とも言えます。
黙々と坐禅を組む姿を臨済宗が黙照禅と揶揄したことが、曹洞宗が黙照禅と呼ばれるようになった始まりです。
ただし、曹洞宗側もこの呼び方を受け入れ、自ら黙照禅と呼ぶようになりました。
今では揶揄された当初のマイナスイメージは一切持たれていません。
臨済宗の看話禅とは
一方、臨済宗の看話禅とは、公案と呼ばれるお題(問題)を問答する方法です。
いわゆる禅問答ですね。
公案に対して考え抜くことで答えを見出し、それにより、悟りに近づくことができるという思想です。
そしてこれこそが代々「悟りを受け継ぐ手法」とされています。
宋代以降、公案の記録は残されています。
その公案集を元にして代々、師から弟子への問答を繰り返すことで、悟りを開いていない師匠でも弟子に悟りを受け継ぐことが可能となっているのです。
公案(=禅問答)は、正解のない理不尽な問題(無理会話)ばかりです。
例えば、有名な公案の一つに「隻手の声」というものがあります。
白隠が修行者たちを前にしてこう言った。
「隻手声あり、その声を聞け」 (大意:両手を打ち合わせると音がする。では片手ではどんな音がしたのか、それを報告しなさい。)
一見すると「片手では音がするはずが無い」と答えたくなる問題ですね。
しかし、それは人の常識(先入観)による答えです。
人としての理解を越えて、答えを見出すことが悟りであり、人智を越えた思想こそが悟りには必要ということです。
この変にとんちの効いた問答は、どこかで見聞きしていると思いませんか?
そう、かの有名な「一休さん」です。
彼もまた臨済宗の僧だったのです。
実在する人物ですが、アニメの方が有名でしょうか。
無理難題を一休さんが持ち前のとんちで解決していくストーリーです。
あれは禅問答の一幕だったということですね。
禅の組み方の違い
坐禅の組み方もそれぞれ違っています。
曹洞宗の座禅の組み方
曹洞宗が禅を組むときは、壁に向かって禅を組みます。
これを「面壁坐禅(めんぺきざぜん)」と呼びます。
中国禅宗の祖とも言えるべき達磨大師は、なんと九年もの長きに渡り坐り続け、その様は「面壁九年(めんぺきくねん)」という言葉とともに残っています。
禅のルーツを辿ると面壁に行きつく、ということですね。
曹洞宗公式HPに坐禅の組み方のムービーがあります。
壁に向かって坐禅を組んでいるのがわかるでしょう。
臨済宗の座禅の組み方
一方、臨済宗では面壁坐禅を行わず、人と向かい合って坐禅を組みます。
「なぜ曹洞宗は面壁坐禅で、臨済宗が面壁坐禅を行わないのか?」については、はっきりとした見解が示されていません。
そもそも中国の禅宗始まり当初も、面壁坐禅が基本でした。
つまり、いつからか臨済宗が面壁坐禅を止めてしまったということです。
師との問答(公案)の中で悟りを見出す臨済宗では、壁ではなく人と向き合って答えを出す(悟りを開く)という思いを込めているのかもしれません。
臨済宗と曹洞宗の歴史
禅宗は、中国で発祥し、日本に伝来した仏教の宗派です。
臨済宗は、中国の禅師・臨済義玄を開祖とし、日本では鎌倉時代に栄西が伝えました。曹洞宗は、中国の道元禅師が開祖であり、日本では道元が鎌倉時代に伝えました。
両宗派は、日本において、多くの座禅修行を行う寺院を設立し、江戸時代には庶民にも広まりました。現在も全国各地に多くの曹洞宗・臨済宗の寺が存在し、禅の教えや修行が受け継がれています。
中国から日本へ:禅宗の伝来と展開
禅宗は、インドで始まり、中国を経て日本に伝わりました。
中国で成立した禅宗は、日本への伝来後、鎌倉時代に栄西や道元などの僧侶によって広まり、曹洞宗や臨済宗といった宗派に分かれました。また、同時期に黄檗宗や福井蒲原禅寺などの宗派も伝来しました。
江戸時代に入ると、座禅を通じた修行が庶民にも広まり、禅宗は日本の宗教や文化に深く根ざしました。現在でも、多くの人々に禅の教えや修行が受け継がれており、日本の精神性や文化に大きな影響を与えています。
鎌倉時代から江戸時代:禅宗の影響力
鎌倉時代から江戸時代にかけて、禅宗は日本の仏教界に大きな影響を与えました。特に、曹洞宗と臨済宗の二つの宗派が広まり、多くの人々に支持されました。鎌倉時代に始まり、禅宗は武士や文化人に深い関心を持たれ、彼らの精神的支柱となりました。また、禅の教えは日本の文化や芸術にも大きな影響を与え、今日まで受け継がれています。
禅宗の成立には、中国からの伝来が大きく関係しています。鎌倉時代に、道元禅師が中国から日本へ曹洞宗を伝え、栄西禅師が臨済宗を伝えました。この二つの宗派は、修行や悟りを求める者たちの間で広まり、多くの寺院が建立されました。また、座禅や禅問答といった独自の方法によって、日本独自の禅文化が発展しました。
江戸時代に入ると、禅宗はさらに広まり、全国的な宗派となりました。特に曹洞宗は、家庭や地域での宗教活動を重視し、一般の人々と密接な関わりを持ちました。一方、臨済宗は、禅の教えを広めるために、禅問答や公案を用いることが多くなりました。これらの宗派は、それぞれ独自の特徴を持ちつつ、禅宗の影響力を広げていく役割を果たしました。
近現代日本における臨済宗と曹洞宗
近現代日本においても、曹洞宗と臨済宗は引き続き大きな影響力を持っています。両宗派の寺院は全国に広がり、それぞれ特徴ある修行や教えを伝えています。また、禅の精神や悟りの境地を求める人々にとって、依然として重要な存在となっています。
曹洞宗と臨済宗は、現在も多くの寺院で座禅や読経などの宗教活動を行っており、一般の人々にも身近なものとなっています。特に、座禅会や坐禅を通じて、現代のストレス社会においても禅の教えは人々の心を癒す力を持っています。
さらに、禅宗の文化や芸術は、日本の伝統文化や世界遺産としても評価されています。例えば、京都や奈良にある禅宗のお寺は、その美しい建築や庭園が多くの観光客に愛されています。このように、近現代日本においても、曹洞宗と臨済宗は人々にとって大きな魅力を持っています。
一般人が知るべき禅宗の影響
禅宗は、日本の歴史や文化に大きな影響を与えてきました。一般人が知るべき禅宗の影響としては、まず、日本の庭園や建築、茶道、書道、華道などの美術分野にその精神性が取り入れられていることが挙げられます。また、禅宗の教えは日本の武士道や侍の精神にも影響をおよぼしています。
禅宗の教えは、心を鎮め自分と向き合うことの大切さを説いており、現代のストレス社会においても役立つ知恵が詰まっています。禅の教えを実生活に取り入れることで、自分の心を整え、より豊かな人間関係や心の成長が期待できます。
禅宗の影響は、歴史や文化、芸術だけではなく、現代人の生活にも広がっています。その教えを学び、実践することで、日本人としてのアイデンティティを深めることができます。
日本の文化と禅宗の関係
日本の文化には、禅宗が大きな影響を与えています。禅宗は、過去に中国から伝わった仏教の宗派で、栄西や道元といった僧侶が日本に伝えました。鎌倉時代には、禅宗が武士階級の支持を受け、その後も文化の発展に寄与してきました。
禅宗は、座禅を中心とした修行が特徴で、自分自身の心を研ぎ澄ますことで悟りを開くことを目指しています。そのため、禅宗の教えは日本の文化にも大きく影響し、茶道や華道、俳句や書道といった日本独自の文化が生まれました。
また、禅宗は一般の生活にも影響を及ぼしており、禅的な考え方や言葉が日常会話にも取り入れられています。例えば、「一期一会」や「無心」といった言葉は、日本人の心を豊かにしています。
さらに、禅宗は日本の建築にも大きな影響を与え、禅宗の寺院は極めて美しい建築物として知られています。現在、京都や奈良には多くの禅宗寺院があり、観光客にも喜ばれています。
禅宗がもたらす心のあり方と生き方
禅宗がもたらす心のあり方と生き方は、多くの人にとって大きな魅力があります。禅宗は、心の中の迷いや不安を取り除くことで、より豊かな人間性を手に入れることができます。
禅宗の修行は、座禅を中心としており、静かな環境の中で自分と向き合い、自己の内面を研ぎ澄まします。その結果、自分の心をより深く理解し、自分以外の他者や世界と向き合うことができます。
また、禅宗の教えによると、すべてのものは互いに関係しあって存在しているとされます。この考え方は、「縁」と呼ばれ、多くの日本人に共感を持たれています。
禅宗の生き方は、自分や他者と向き合って共に成長することを重視します。そして、無心や一期一会の精神を大切にし、日々の生活を豊かにしていきます。
京都と奈良の有名な臨済宗・曹洞宗寺院
京都と奈良には、有名な臨済宗・曹洞宗の寺院が多数存在します。その中でも、特に有名な寺院をご紹介します。
- - 京都の臨済宗寺院:天龍寺、南禅寺、東福寺、建仁寺
- - 京都の曹洞宗寺院:妙心寺、大徳寺、曹源寺
- - 奈良の臨済宗寺院:大本山興禅寺
- - 奈良の曹洞宗寺院:永平寺、常照寺
これらの寺院は、美しい建築や庭園で知られ、多くの観光客に訪れられています。また、一部の寺院では、座禅体験や精進料理の提供があり、禅宗の世界観をより深く味わえます。
まとめ
禅宗は、日本の文化や生活に深く根ざしていますが、その中でも特に有名なのが臨済宗と曹洞宗です。
曹洞宗も臨済宗も、同じ禅系の宗派でありながら、その「禅に対する思想」に大きな違いがあります。
臨済宗は、公案を使用した問答を行い、突然の悟りを目指します。
一方、曹洞宗は、座禅を中心とした静かな修行で、徐々に悟りに至ります。
どちらの思想、どちらのやり方が正しいのかというと・・・
それこそ正に禅問答ですね。
ちなみに曹洞宗の宗祖、道元の生涯を描いた「ZEN(禅)」という映画があります。
2009年に公開された映画で、高評価レビューも多くついていますから、ご興味あればご覧になってみてはいかがでしょうか。
主演キャストもなかなかに豪華なものです。
主演キャスト
- 中村勘太郎
- 内田有紀
- 藤原竜也
プライム会員であれば、今すぐ無料で視聴が可能ですよ。
また、両宗派の寺院は日本の文化や歴史に重要な役割を果たしており、多くの人々が訪れています。
ここで述べた違いをふまえて、ぜひ自分に合った禅宗寺院を訪れてみてください。