あの歴史上の偉人、空海が生きてるかもしれないってご存知ですか?
生きてるかも・・・なんて聞くと、なんだか不思議な感覚になってきますよね。
なんと空海は今でも修行中で、長い瞑想の最中なのです。
そして1200年前から今日に至るまで毎日2回、空海に欠かすことなく食事が届けられています。
平安時代から続く生身供という儀式は一体どんなものなのでしょうか。
それでは今回は、生身供で行われていることと、空海の伝説エピソードについてお伝えしていきます。
空海の歴史をおさらい
教科書にも載っている歴史上の人物なので、知っている人も多いですよね。
さらっと空海についておさらいしておきましょう。
- 生誕:774年6月15日
- 入定:835年4月22日
- 出身:讃岐国(現在の香川県)生まれ
空海は平安時代初期のころの僧侶で、真言宗の開祖です。
18歳のときに仏教の道に入り、山林での厳しい修行を積みます。
804年、空海が31歳のときに唐(中国)に渡り、数々の学問や技術を学びました。
膨大な仏像や法典などを日本へ持ち帰ってきた人物です。
唐で得た学びから人々のために尽くし、その功績が今でも残っています。
余談ですが、うどんを日本に持ち込んだのも空海とされています。
835年、62歳のときに入定(にゅうじょう)して、悟りを得るための長い修行に入りました。
のちに醍醐天皇にから「弘法大師」の名前をおくられます。
空海はよく知らなくても、弘法大師と聞けばわかる人もいるかもしれませんね。
入定前の功績が大きかったことがわかります。
現在でも1日2回の食事が運ばれる生身供とは?
場所は和歌山県北部の高野山。
真言宗総本山として知られています。
816年に空海が開いた真言密教の修行道場で、世界遺産登録もされている歴史的な場所です。
高野山の奥の院では1200年もの間、1日2回欠かすことなく空海に食事が届けられています。
奥の院には空海が入定したとされる御廟があるからです。
入定したその日から現在でも、そこで空海が修行を続けているとされています。
時間は毎日、朝6時と10時半。
御廟前の燈籠堂へ食事が運ばれていきます。
この儀式は生身供(しょうじんぐ)と呼ばれています。
生身供の流れ
生身供はどんな流れで行われるのか気になりますよね。
一連の儀式はこのようになっています。
- 毎回、数名の僧侶によって行われる
- 食事は白木の箱に入れられて、2名の僧侶によって担がれる
- 維那(ゆいな)が列を先導し、嘗試地蔵(あじみじぞう)の前で必ず毒味をする
- 御廟橋で一礼
- 奥の燈籠堂の中に入っていく
1200年もの悠久の間、御廟は維那の手によって守られてきました。
維那とは、空海の世話係を行っている僧侶のことです。
維那以外の人は中の様子を知ることができません。
そして維那は誰かに中の様子を喋ることもしないのです。
ですので御廟の中でどんなことが行われているか、明らかにされていないのが現状です。
代々の維那によって伝統と秘密を守ってきたというのは、本当にすごいことですよね。
生身供のメニュー
基本は伝統的な精進料理が運ばれます。
お正月にはおせち料理になるとか。
さらに時代は変わってきていますので、空海は洋食も召し上がるそうですよ。
シチューやカレー、パスタの日もあります。
日本食だけではないのは意外ですね。
また空海が入定した日には衣服も届けられます。
厳しい修行の中でも、衣食住には困らなそうです。
生身供を見学するときの注意点
生身供の儀式は一般の人でも見学可能です。
ただし奥の院にある御廟は、高野山の中でも一番神聖な場所です。
そのため御廟橋から先は注意しなくてはなりません。
- 撮影禁止
- 私語厳禁
- 飲食禁止
- 喫煙禁止
- 脱帽
厳しいルール!とまでは言いませんが、敬意をもって見守ってくださいといったところですね。
もちろん御廟内に立ち入ることも許されません。
1200年も守り抜かれた神聖な儀式ですので、マナーを守って見学しましょう。
空海の姿は御廟内でどうなっている?
どんな姿で御廟内に空海がいるのか、維那以外は誰も知りません。
ですので、
- 入定したときと同じく座ったままの姿
- 空海の代わりの像がいるだけ
- ミイラ状態になっている
など、さまざま推測されていますが真実は不明なままです。
歴史的な書物から読み解くと、すでに火葬されていると主張する説もあります。
また「今昔物語」には、こんな記録も残されています。
空海が入定してから135年経った年に、御廟に入った人がいたそうです。
その人いわく、空海がまるで生きているように座っていたというのです。
しかも髪の毛やひげも伸びている状態だったとか。
普通ならそんなはずないのですが、空海だったら持ち前の才能で修業を続けることが可能なのでは?と思えてしまいます。
生身供を実際に見た人の感想
神聖な儀式の生身供を見た人たちは、どんな感想だったのでしょうか。
3️⃣はじめての高野山 8/13#高野山 の最も神聖な霊場
杉木立の参道に神聖な空気が漂う#奥の院一の橋から御廟まで墓石や記念碑、慰霊碑が数多く立ち並び、戦国武将のお墓も。
と、企業のユニークな供養塔もいっぱい
御廟橋の奥は聖域。撮影禁止です#一の橋#水向地蔵#御廟橋#御朱印 pic.twitter.com/hNEqOrX5cJ— でこぱっち♪ (@dekopachi_n) August 22, 2019
ありがたや
高野の山の岩かげに
大師はいまだおわしますなる#高野山 #奥之院 #御詠歌 #生身供 #弘法大師 #空海 #朝6時 #燈籠堂 #御廟橋 pic.twitter.com/ZGFmwgoK2w— まーくん (@markun1004) November 13, 2018
思惑通りと言ったら変だけど体験したい環境に巡り合わせ。観光客も少なくただ静かで安らか。やっぱり雪のお寺はいい。今日は生身供も見られて最高。#高野山 #高野山奥の院 #初雪 #冬の寺院 #生身供 #弘法大師 #雪 #お大師様 #静か #peaceful #koyasan #snowing pic.twitter.com/o4YVhTIJzP
— Mikiko (@mikiko1021) December 28, 2018
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— Masashi Ueda (@MasashiUeda1352) September 18, 2018
高野山そのものがパワースポットになっています。
奥の院のおごそかな雰囲気がまた素晴らしいです。
きっと身の引き締まるような気持ちになることでしょう。
高野山に行かれる際は、せっかくですので生身供も見学してみてくださいね。
数々の才能の持ち主、空海の伝説エピソード
空海の伝説は国内に5,000以上残されています。
どれも空海には、生まれながらの不思議な力があったのではと思える内容ばかりです。
その中のいくつかを紹介します。
断崖絶壁から飛び降りて助けられる
空海は幼少期、仏門に入る決意を固めるために断崖絶壁から飛び降りたことがあります。
しかも3回も!!
すると釈迦如来と天女が登場し、空海の命を助けたというのです。
普通に考えたら命の危機に直面しますよね。
それでも空海は生きていたという不思議なエピソードです。
天才と言っていいほど頭がいい
空海はとにかく頭がいいです。
唐にいる2年間で儒教やキリスト教などを学びながら、サンスクリット語と中国語もマスターします。
本来であれば2年では到底習得できない量の学問を、あっという間に身に着けてしまうのです。
さらに字もうまくて漢詩も得意だったとか。
短期間でここまでできるなんて、天才としか言いようがありません。
生まれ持った才能だったのでしょうね。
空海が発見したとされる温泉や湧き水が全国各地にある
今でも空海が発見した温泉や湧き水が残されています。
全国各地を行脚しながら次々にその場所を見つけ出したといいます。
貴重な水源は、当時の人々にとても喜ばれたことでしょう。
でもいくつも簡単に見つけられたなんて、技術もほとんどない時代ですから、ちょっと考えにくいですよね。
- 空海は不思議な能力を持っていた
- 過酷な修行を続けていたことでわかるようになった
- 唐で得た豊富な知識から場所を特定できた
実際のところ、どうだったのか真実はわかりません。
でも空海だからこそ、できたことなのかもしれませんね。
不思議な伝説が多い空海。
旅行の際に、その歴史の跡を巡ってみるのも楽しそうですよ。
空海が生きていたら年齢は何歳?
もし空海が現在でも生きていたとすると1245歳です(2019年8月現在)。
入定したのは62歳のときでしたので、そこからはるかに長い年月が経っているわけです。
でも食事を運ばれている光景を見ると、もしかしたら本当に生きていて修行しているのでは?と思えてきます。
いや、さすがに生きていないよね・・・?
まとめ
空海に食事が運ばれる生身供についてと、伝説のエピソードをみてきました。
生身供は1200年もの歳月の間、絶やすことなく続けられている儀式です。
実際に高野山の奥の院で見てみると、日本の長い歴史を感じることができるでしょう。
次の時代にも継承される伝統であってほしいですね。
ぜひ一度、高野山に訪れてみてはいかがでしょうか。