エホバの証人輸血拒否事件をご存じでしょうか。
時折メディアで取り上げられているので、聞き覚えのある方も多いと思います。
とはいえ、普段無宗教な方からしたら、
- 「エホバの証人輸血拒否事件ってどんな内容?」
- 「どうして生命を救った医師が訴えられるの?」
と不思議に思うことも多い事件なのではないでしょうか。
そこで今回は、エホバの証人の実態と、事件がどのように争われたかを丁寧にご紹介していきます。
ということで、
エホバの証人の厳しい戒律|輸血拒否事件を分かりやすく解説
をお送りします。
エホバの証人とは
エホバの証人は、キリスト教系統の新しい宗教です。
しかし他の教派とは一線を画した存在としてとらえられることが多いようです。
例えば、彼らは聖書に書いてあることを読み解き、実践することを重要視しています。
キリスト教とは違い、聖書に基づいた厳しい戒律があるのです。
ゲームやギャンブルは禁止。
派手なメイクや服装もダメ。
なんと、クリスマスを楽しむことまで禁止されているんです。
その代わりに彼らは、熱心な布教活動を行っています。
お昼頃家にいる日、インターホンが鳴って勧誘のチラシをもらったことはありませんか?
私も以前、玄関先で「聖書に記してある”ありがたいお言葉”」を読み上げられ、「ものみの塔」という小冊子を手渡された覚えがあります。
多くの人が、一度はエホバの証人と言葉を交わしたことがあるかもしれませんね。
エホバの証人輸血拒否事件とは?
エホバの証人は、聖書から「血を避けるべき」という教えを読み取りました。
そのため、輸血することが禁止されているのです。
しかし、命を救うためにはどうしても輸血が必要な場面がありますよね。
輸出拒否事件は、まさにそういった状況下で起こりました。
事件の概要と結果
エホバの証人輸血拒否事件は、エホバの証人が輸血を拒否したにもかかわらず、医師が輸血してしまったため、病院に対して損害賠償を求めた事件です。
事件は最高裁まで争われ、2000年2月19日にエホバの証人側の主張が認められました。
最高裁は、患者の自己決定権を尊重し、医師が行った輸血の措置を違法としたのです。
判決で、医師は55万円の賠償金を支払うよう命じられました。
事件の顛末を詳しく見ていきましょう。
事件の流れをくわしく解説
事件は1992年に東大附属病院で起こりました。
肝臓ガンを患っていた、エホバの証人の女性が病院を訪れました。
もちろん彼女は宗教上の戒律を守るため、輸血を避けたいという立場にいます。
そこで、以前に同じような肝臓ガンの患者を、生理食塩水の点滴のみで手術した実績のある、東大附属病院を選んだのです。
彼女は信仰の説明をし、「どうしても輸血だけは避けたい」旨を医師に話しました。
その上で、もしも輸血をしないことにより命を落としたとしても、病院側の責任は一切問わないという内容の文書を作成し、手渡したのです。
この女性のように、たとえ命を落としたとしても、輸血はしないという態度のことを「絶対的無輸血」といいます。
一方で、医師は「相対的無輸血」の立場をとっていました。
もし手術中に、輸血しなければ命を救えない状況になった場合は、輸血するという考え方です。
医師は女性に対して「できるだけ信仰心を尊重します」という風に応じていました。
ところが、医師は「手術の状況次第では輸血する」という旨を患者に伝えませんでした。
ここが後から争われるポイントとなる部分ですね。
その後、患者の様態が急変。
緊急手術が行われました。
手術は肝臓の大部分を取り除く大手術となり、女性は大量の出血からショック状態に陥りました。
命を救うためには輸血が必要な状況になったのです。
「相対的無輸血」の立場をとる医師は、女性の生命を救うことを優先し、輸血を行い手術しました。
結果、手術は成功。
女性は救われましたが、彼女は輸血されたことに対してひどくショックを受けてしまいました。
そして翌年1993年、医師と病院に対して、「信仰の自由」と「自己決定権」の侵害により、1200万円の損害賠償を請求する訴訟を起こしたのです。
患者の自己決定権VS医師の使命感
エホバの証人輸血拒否事件では、宗教上の理由から輸血を拒否する患者の自己決定権と、生命を救おうとする医師の使命感がぶつかり合ったといえます。
患者の命を救ったにもかかわらず、訴えられた医師の気持ちを考えると複雑ですが、いったいどういった主張が繰り広げられたのでしょうか。
どのような主張が、判例の決め手となったのか確認していきます。
患者(エホバの証人)の主張
エホバの証人の女性は次のような内容を主張しました。
- 生命は患者のものだから、最終的にどのような医療を受けるかは患者が決めるべき
- 宗教上の理由から「どうしても輸血は避けたい」旨は説明していた
- 医師は輸血が必要になる可能性がある大手術を予測していたが、説明しなかった
- 医師は十分なインフォームド・コンセントを怠っていた
医師の主張
一方で、医師は次のような主張をしました。
- 医師には患者の生命を救う義務がある
- できる限りで患者の意思を尊重するが、生命を救うために輸血を行うのは合理的判断
- 患者を死亡させる危険をおかしてまで無輸血手術をするのは治療放棄
- すべての輸血を拒否するという信仰自体が非常識で反社会的
(※エホバの証人の信者の中でも、輸血に関する解釈には幅があります。すべての信者の方が絶対的無輸血の立場をとっているわけではありません。)
インフォームド・コンセントのあり方
最高裁は、
- 輸血の可能性があることを患者に説明すべき
- 手術を受けるか否かは患者の意思決定に委ねるべき
という見方を示しました。
つまり、判例の決め手となったのは、インフォームド・コンセントが不十分だったことと言えるでしょう。
インフォームド・コンセントとは「十分な情報を得た(伝えられた)上での合意」を意味します。
今回の場合であれば、医師は相対的無輸血の立場をとっている旨を十分に説明した上で、手術を受けるか否かは患者の意思決定に委ねる必要があったわけですね。
まとめ
エホバの証人輸血拒否事件は、十分な説明と合意がないままに、輸血を行ってしまったことが、患者の自己決定権を侵害したとみなされました。
エホバの証人の信者は20万人以上いるとされているため、またいつ同じような状況が起きてもおかしくありません。
医師には十分なインフォームド・コンセントが求められていると言えますね。