- お寺にかかわりたくないから、お墓はいらない。
- 高額なお布施をするのはイヤだから、戒名はいらない。
このような世間の風潮が高まっています。
よくニュースなどで「墓じまい」「終活」などの言葉を耳にしますね。
でもほんとうにそれでいいのでしょうか?
お墓に意味はないのでしょうか?
ということで今回は、
お墓の意味を仏教から考える|伝統と歴史が息づく日本の葬送
をお送りします。
お墓の意味とはなにか
結論として、お墓は、
- 先祖といまを生きる我々との接点
- 先祖を定期的に供養することで、感謝と敬愛を示す場所
これらの儀式をおこなう場所です。
ただし、この特徴が非常に強いのは日本仏教だけなのですね。
くわしくみていきましょう。
お墓と仏教の葬送儀礼の歴史
そもそも、仏教をひらかれたお釈迦様は、死後の世界について言及していません。
だれにもわからないことは説明しても意味がないからです。
無駄なことを考えるのはやめ、必死に修行して悟りを開き、生まれ変わりの輪廻から解脱することをお釈迦様は弟子たちにすすめました。
とても現実的な考え方です。
現代の日本仏教は「葬式仏教」だと揶揄する人々が、本来の仏教と違いすぎるということでツッコミをいれる点ですね。
しかし、日本に伝わるまでに、仏教自体が変化・適応をつづけた歴史をもっています。
伝わった土地の死生観に合わせた結果、仏教が先祖崇拝も取り込み、複雑化しました。
>>>大乗仏教と小乗仏教の違い『上座部仏教』が正式名?それぞれの【思想の特徴】とは
死生観とはなにか。
現実としておとずれる「死」をどのように理解するか。
そこから、いまある「生」にどんな意味があるのか。
カンタンに言うとその考え方が死生観です。
死生観は地域や宗教によってまったく異なります。
当然、お墓の形態も違います。
インドから始まった仏教は中央アジア、それから中国にわたり、朝鮮半島を経由して日本に伝わっていきました。
これを北伝(ほくでん)といいます。
北伝、とくにインドと中国のお墓や葬送作法のうつりかわりをみていきましょう。
仏教が伝わった国のお墓の歴史
インドの死生観と葬送作法
- インドはおもに火葬
- お墓自体が昔からほぼ存在しない
インドの死生観として有名なものが「六道輪廻」。
生き物が六道という世界のなかで生き死にを繰り返す、という考え方ですね。
じつは仏教が始まる以前から、インドのひとびとに信じられてきた死生観です。
肉体が滅んでも魂はふたたびこの世に生をうける…しかしそれが人間として、とは限らない。
四つ足の犬や猫だったり、昆虫だったりするかもしれません。それを決めるのが本人の業(ごう)だと言われています。
仏教の特徴のひとつは、この六道輪廻の流れからの脱出を説いていることです。
生き死にそのものを苦ととらえ、悟りを開けば六道輪廻から脱出(解脱)し、苦しみを乗り越えることができると考えました。
さて、インドの古代文明の遺跡で有名なモヘンジョ=ダロ、ハラッパーなどには、お墓が見当たらないことがわかっています。
それもそのはず、一般人の葬送の方法は、おもに火葬。
川辺で遺体を焼いて、その煙とともに死者が天に生まれると考えました。
後に残った灰は川に捨てられます。
遺体や遺骨は魂の抜け殻ということで、あまり特別扱いしない風習なのですね。
ほかには、遺体は焼かずにそのまま野山に放置されたことが仏教経典に書いてあります。
お釈迦様の場合、亡くなった後は荼毘にふされました。
しかし遺灰(舎利(しゃり)といいます)はインド各地に分けられ埋められて、それぞれの場所にストゥーパ(卒塔婆)という塔が建てられます。
王侯貴族、あるいは聖人が亡くなったときのみ、お墓を建てられる風習だったからです。
中国の死生観とお墓
- 中国は土葬でお墓をたてる風習。子孫がまもり祭礼を行う。
- 儒教の「孝」は先祖供養が由来。それが「礼」につながる。
古代の中国人の死生観は、インドとはまったく違っていました。
人間の精神を魂(こん)、肉体を魄(はく)と呼び、これが分離した状態を「死」と捉えました。
そしておもしろいことに、これをもういちどくっつけると、死者が再生すると考えたのです。
…もちろん死んだ人間が、これで生き返るわけはないですね。
その儀式をおこなう子孫たちの肉体に、祖先の霊魂を呼び戻し、手厚くもてなし感謝をしたのです。
そのさい、子孫は親たちの頭蓋骨をかぶりました。
そこに魂がこもっていると考えたからですね。
たとえじぶんが死んでも、子孫が再生してくれる。
蘇らせてくれる…という安心感で「死」への恐怖を克服していきました。
ということで中国では遺骨の頭部が大切に保管され、ほかの部分は埋葬しました。
これが中国のお墓に発展していきます。
以上の先祖崇拝・父母への敬愛といった考え方や儀式が体系化され「孝(こう)」と呼ばれるようになりました。
のちに孔子の考えをもとに、礼儀を重んじる儒教が広められましたが、その根本をなすのが「孝」の考え方です。
そんななかで、仏教が伝わります。
異なる文化を理解しようと、中国の人々は儒教の「孝」や道教など、あらかじめもっている考え方で仏教を解釈しました。
こういった背景から、仏教と中国の先祖崇拝の儀式が混ぜ合わされて、日本に伝わります。
仏教伝来(正式に伝えられたのが西暦537年もしくは552年)以前、すでに日本には儒教が伝わっていましたから、馴染みやすい面もありました。
とくにインドにはなかった回忌法要は中国の「孝」と道教思想が由来であり、以下でくわしく紹介します。
日本のお墓の歴史
日本は縄文時代からすでに土葬の文化を持っていました。
弥生時代になってからは甕棺墓(かめかんぼ)などの陶器のツボに遺体を収め、あるいは木の棺をつかう地域も出てきます。
豪族の埋葬地には、前方後円墳のような巨大なお墓が建てられました。
ただしこのように特別に葬られるのは、有力者のみ。
一般階級のなきがらは所定の場所に放置されるか、あとは野ざらしでした。
大和朝廷が生まれ、中国との交流が活発になる中で儒教が伝えられ、中国的な先祖崇拝の考え方が日本に広がります。
そしてのち仏教が伝来しました。
ただし、遺体を埋葬して五輪塔(ごりんのとう)や板の塔婆(とうば)を上に置きはじめたのは、仏教伝来からしばらく経った十二世紀後半。
室町時代になると、律宗(りっしゅう)寺院が墓地を管理した、という記録がはっきり残っています。
とはいえ、この時代でも、墓石を並べて弔われるのは特別な階級の人間だけでした。
庶民がお墓をもつようになったのは江戸時代からです。
徳川幕府は島原の乱のあと、キリスト教徒を厳しく取り締まる一方、寺壇制度(じだんせいど)をもうけて庶民をすべて檀家とし、所定の菩提寺と結びつけました。
この制度は人の流れの管理や、戸籍の把握などの機能も兼ねていました。
檀家が亡くなれば菩提寺で葬い、子孫たちが境内のお墓を守っていくようになります。
これ以降から現代まで、日本の仏教・お寺は、お墓や葬送ときってもきれない関係になります。
日本人にとってお墓が身近になったのは、意外なことに、まだ数百年しか経っていないのですね。
ほかの仏教国のお墓について
比較として、ほかの仏教国のお墓などを見ていきましょう。
タイ
- 火葬のち散骨。
- お墓をもたない。
北伝仏教に対し、東南アジアに伝わった仏教は南伝仏教(なんでんぶっきょう)と呼び、おもに上座部(じょうざぶ)といわれる教えが浸透しました。
いまではあまり使いませんが、小乗仏教なんて言い方もありますね。
>>>大乗仏教と小乗仏教の違い『上座部仏教』が正式名?それぞれの【思想の特徴】とは
9割の国民が仏教徒とはいえ、日本とは違い、火葬した後に遺骨を散骨するなど、タイはかなりインド仏教に近い習俗をしています。
ただし、寺院ではお墓の代わりの石碑があるので、お正月にお参りするならわしです。
シンガポール
- 火葬。道教の信仰者は埋葬を希望するが15年経ったら掘り起こされる。
- 土地に余裕がないため、墓地は再開発で圧迫されていて、墓地はロッカー型の納骨堂でひとり1つずつ。国営墓地をもつ。
多宗派、かつ多民族の国家で、なおかつ国土が狭いシンガポール。
墓地事情に関しては、よその国とかなり異なりますね。
チベット
- お墓はない。
- 水葬(すいそう)、鳥葬(ちょうそう)、火葬
チベットはインドと近いことから、仏教の影響を色濃く残す土地です。
輪廻転生が強く信じられており、なくなった人は死後四十九日まで生まれ変わりを果たしていると考えるので、お墓を持ちません。
遺体を川に流す水葬、鳥に食べさせる鳥葬があることも特徴です。
韓国
- 墓地用に山をひとつ買い、一族が維持し、入っていく。ただし韓国も土地に余裕がないので、最近はコンパクトな納骨堂で弔うケースが増加中。
- 儒教の考え方が強く、上流階級の人々は土葬。裕福でない人々は仏教式で火葬。上と同じ理由で火葬が増えている。
おなじみ、おとなりの韓国。
仏教寺院もありますけれど、こちらは儒教の国と呼んだ方が正しいでしょう。
「孝」の考えに基づき、目上の人を敬い、先祖をあつく弔う風習があります。
そのため、昔のお金持ちはお墓のために山をひとつ購入したわけですね。
山の斜面を切り開き、故人を埋め、まんじゅうのように丸く土を盛り上げるならいでした。
日本のものよりも大きな墓石を使う場合もあります。
現在は土地の事情もあり、火葬が増え、納骨堂で収めるケースが増えています。
お墓について他宗教との比較
世界三大宗教といえば仏教のほかにキリスト教とイスラム教があります。
それぞれの死者の弔いの仕方はどうなっているのでしょうか?
日本の神道も併せてみてみます。
キリスト教
- 大きく分けてカトリックとプロテスタントがあるが、いずれも埋葬は亡くなって約三十日後。
- 火葬。
お墓にはとくに決まりがないので、日本では使われない大理石を墓石に使うことがあります。
そしてお墓参りでは故人に対してではなく、神に祈るところが日本仏教と異なる点です。
>>>キリスト教【教派(宗派)の違いまとめ】歴史からみる成り立ちとは
お墓参りも、
- カトリックは11月の「死者の日」
- プロテスタントは命日の30日後にあたる「召天記念日」を5年間
これらの日にお参りをするのが通例です。
イスラム教
- 埋葬。根本経典「コーラン」に火葬が禁止されて土葬するように書いてある。
- お墓はさまざま。ただし遺体の顔はメッカに向くようにしてあるのが原則。
一神教のイスラム教。
>>>イスラム教【宗派の違い】はどこに?成り立ちと歴史に迫る
その死生観は独特です。
神が審判を下し、正しい信仰を持っていたと判断されると、亡くなった人は天に生まれる。
逆だと地獄に落ちるとされています。
その際、遺体が残されている必要があるので土葬の文化が定着しました。
また、罪人は地獄の炎で苦しめられると「コーラン」で記載されていることから、炎=火葬のイメージにつながり、たいへん忌み嫌われる…といった背景があります。
神道
- 火葬してお墓に納骨するのは日本仏教と共通。ただし神社でなく公共霊園に設けられる。
- 墓石が仏教と異なり、先端が三角錐のような形状(トキン型)。お墓を「奥津城(おくつき)」と呼ぶ。
神道では「死」に関するものごとはすべて「穢れ」ととらえ、避けられますので、お墓が神社内に設けられることはありません。
公共の墓地・霊園に許可を得て設営されます。
お墓参りの時期と由来
日本では、お墓参りは、
- お盆
- 春と秋のお彼岸
これらの時期におこなう風習です。
それぞれの由来をみて行きましょう。
お盆とは
お釈迦様の十大弟子である目連(もくれん)が、餓鬼道に落ちた母を救う方法をお釈迦様にたずねたことがありました。
旧暦七月十五日にたくさんのお坊さんたちをもてなすと、その功徳で救うことができる、とお釈迦様が教えてくれたというのが「盂蘭盆会(うらぼんえ)」すなわちお盆の由来です。
そのとおり実行すると、見事に母が天に生まれかわり、目連が喜びのあまり踊ったので「盆踊り」が生まれたのだとか。
現在では地域によって違いがあるものの、新暦の七月十五日、あるいは八月十五日前後に行います。
十三日に迎え火をもちいて、菩提寺のお墓に眠るご先祖様たちの魂を家に招き、おもてなしをして、十六日にあの世にお返しする風習です。
春・秋のお彼岸とは
「彼岸」はサンスクリット語のパーラミター(Paramita)から来ていて、悟りの世界・境地をさします。
この時期に法要をおこなうのは日本仏教のみ。
無実の罪で幽閉されて非業の死をとげた早良親王(生年不詳〜785年没)の怨霊を鎮めるために、春分・秋分の日を真ん中にして、それぞれ一週間の法要をおこなったのが、このお彼岸のはじまりだとされています。
それから先祖を敬い供養するため、この時期にお墓参りする習慣ができました。
お仏壇とはなにか
お仏壇は、実は由来がはっきりとしていません。
一説によると、一部の富裕層が信仰している神仏のために、自宅に建てたお堂(持仏堂=じぶつどう)が原型であるとされています。
藤原頼通(ふじわらのよりみち)が建てた平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)が有名ですね。
やがてそれがコンパクトな厨子(ずし)に仏像を納めるようになり、お位牌をならべるようになって先祖を供養する場所をつくり…現在の仏壇の体裁が整ったと考えられています。
お寺やお仏壇に御本尊を安置する場所を須弥壇(しゅみだん)といいます。
これは仏さまがいらっしゃる場所を須弥山(しゅみせん)と呼ぶことが由来です。
すなわち仏のさとりの世界、浄土ということになりますから、家にいながら仏と向きあい、浄土におもむいたご先祖様たちに祈りを捧げる重要な信仰の場として、お仏壇は大事にされました。
宗派によって、お仏壇の中におさめる御本尊などが違います。
お盆の時期には、お墓に弔われたご先祖様たちが家に帰ってくると考え、お仏壇をきれいに飾りつけてもてなします。
お位牌とはなにか
お位牌は中国が由来です。
上記のとおり、中国では亡くなった先祖の頭蓋骨を、子孫が頭にかぶれば再生するとされました。
やがて頭蓋骨は鬼の面に、肉体は亡くなった人の名前や素性を書いた神主(しんしゅ)に変えられます。
この神主が仏教にとりいれられ、お位牌となりました。
やがて故人の戒名を刻み、回忌法要で弔い、お仏壇に祀って身近に残すようになりました。
お魂入れとはなにか
お仏壇・お位牌も、そしてお墓も、成仏したご先祖あるいは仏そのものですから、仏の魂をこめて眼を開かなければなりません。
これを「開眼(かいげん)」・「開眼法要」、あるいは「お魂入れ」と呼びます。
お墓のばあいは「石塔開眼(せきとうかいげん)」。
ちなみに、お正月に厄除け祈願などを受けてからいただくお札や、お守りなどもすべてこの開眼を行なっています。
反対に役目を終えたお位牌、お仏壇などは「お魂抜き」もしくは「発遣(はっけん)」といって、込められた仏の魂をもとの世界に帰す作法が必要になります。
供養と廻向とはなにか
もともとインドでは仏や年長者などに食べ物をささげることや、身の回りの世話をすることを「供養(くよう)」といいました。
これがしだいに死者にも適用され、先祖への敬意や成仏を願うことにつながります。
そのような善いことをすすんで行うと、自分にとって徳となって返ってくる・功徳(くどく)があるといいます。
返ってくる功徳を自分ではなく他人に向けることを「廻向(えこう)」と呼び、亡くなった人間にたむけて、成仏できるように・極楽往生できるように…と願うようになりました。
人が亡くなっても、その子孫が故人のために追って善をなすということで、追善供養(ついぜんくよう)とも呼びます。
特定の期日、たとえばお盆やお彼岸などにお墓参りをし、あるいは回忌に追善供養の法要をおこなうことで、死者が間違うことなく成仏すると考えたのです。
回忌とはなにか
インドでは中陰(ちゅういん)といって、死後四十九日間のうちに人は生まれ変わりを果たすと考えられてきました。
中国では道教における死生観で「十王思想(じゅうおうしそう)」があります。
これは死後、人の魂が閻魔界に行き、閻魔王をはじめとする十人の裁判官によって、死者の生前の行いが判定されるというものです。
ここにインドの中陰と、仏教の考え方が混ざり込み、死後七日ごとに異なる仏たちが裁判を弁護するとされました。
- 初七日(死後七日)…不動明王
- 二七日(死後十四日)…釈迦如来
- 三七日(死後二十一日)…文殊菩薩
- 四七日(死後二十八日)…普賢菩薩
- 五七日(死後三十五日)…地蔵菩薩
- 六七日(死後四十二日)…弥勒菩薩
- 七七日(死後四十九日)…薬師如来
- 百か日…観音菩薩
- 一周忌…勢至菩薩
- 三回忌…阿弥陀如来
インドで生まれ変わりに必要と考えられた四十九日間。
これに加えて中国では親の死後およそ三年は喪に服すべきという「孝」の考え方に加え、道教の十王思想が混じり合います。
十の数にあわせるため、阿弥陀三尊(阿弥陀如来・観音・勢至菩薩)が百か日・一周忌・三回忌に配置され、追加されました。
そしてただでさえややこしいことに(笑)、日本においては十三仏という考え方がうまれました。上記の諸仏に加えて
- 七回忌…阿閦如来
- 十三回忌…大日如来
- 三十三回忌…虚空蔵菩薩
これらの如来と菩薩が担当します。
なぜこれらの仏さまが配置されたのか、はっきりとしたことはわかっていません。
死出のたびだちをするまえに、以上の十三仏をお参りして挨拶をしておくと、極楽往生するという考え方もあります。
現在では旅行会社が十三仏巡礼のツアーを組んでいたりしますね。
たしかにこれだけの回数を弔えば、亡くなった人は無事に極楽に往生しそうです。
中国では二七日などの忌日に、紙で作られたお金(紙銭=しせん)を焼きます。
煙によって閻魔界の裁判官にワイロを送ることができるとされており、これが「地獄の沙汰も金次第」の謂われです。
まとめ
お墓について、仏教が伝わっていく歴史からくわしくみていきました。
とくに先祖供養・回忌法要の考え方は、中国の儒教や道教の影響をうけて日本に伝わったことがわかりましたね。
その長い歴史と死生観によって、今日われわれが目にするお墓の様子とまつり方が整いました。
三十三回忌までおこなう宗教は日本仏教だけであり、日本人は徹底的に故人の冥福を祈ったのです。
先祖が生きていたことに感謝し、敬い、想いを馳せる接点としてのお墓。
その形態はだんだんと変わっていくのでしょう。
しかし、歴史と伝統、そして大事な意味がお墓にはあることを決して忘れてはいけませんね。