日本仏教13宗に含まれる鎌倉仏教のひとつ、曹洞宗。
禅宗の宗派として、臨済宗と双璧をなす宗派ですね。
この曹洞宗について、興味を持って調べていくと気になることが…
そう、宗教宗派の本拠地である大本山が、2か所も設定され、存在していることです。
- 鶴見の總持寺
- 福井の永平寺
どちらかが上でどちらかが下じゃないの?と考えたいところですが、こちらのふたつの本山に優劣はありません。
曹洞宗の中で歴史的に重要なお寺である二か寺を、大本山として設定されているのです。
曹洞宗の公式ホームページ上においては、以下のような文面があるのみです。
曹洞宗には、大本山が2つあります。ひとつは福井県にある大本山永平寺だいほんざん えいへいじであり、ひとつは横浜市にある大本山總持寺だいほんざん そうじじです。これを両大本山といいます。
両大本山は曹洞宗寺院の根本であり、信仰の源であります。
大本山の住職の正式な呼び方は貫首かんしゅといい、「禅師さま」と親しくお呼びしております。
こちらについて、深堀りしていきましょう。
なぜ大本山が二つ存在するようになったのか?
この答えは単純明白です。
曹洞宗の祖とされる導師が二人存在しているからです。
それが、以下のお二人です。
- 道元禅師(どうげんぜんじ):永平寺(えいへいじ)
- 瑩山禅師(けいざんぜんじ):總持寺(そうじじ)
彼らに縁がある、それぞれが開山したお寺が大本山となったため、大本山が二つ存在することになりました。
祖とは?開祖との違い
しかし、「祖」と言われると、宗派を開いた「開祖」のイメージが強いですよね。
本来の意味における開祖として厳密に言うのであれば、中国の禅宗五家の一つであり、唐の時代の禅僧・洞山良价(とうざんりょうかい)まで、さかのぼることになります。
では、日本における曹洞宗の「祖」とは何なのか。
簡単に言えば、曹洞宗にめちゃくちゃ貢献した人ということです。
彼ら二人がいなければ、現在の曹洞宗はないであろうというお二人なのです。
そのため、両者を「両祖」とし、それぞれのお寺が大本山となるまでになったということですね。
道元禅師の曹洞宗における行い|日本曹洞宗の開祖
曹洞宗は「正伝の仏法」を拠り所とする宗派であり、その正伝の仏法を中国から日本へ持ち帰り伝えたのが道元禅師と言われています。
正伝の仏法というものは、お釈迦様の生涯や説法を、教えとして連綿と受け継いできたものです。
曹洞宗は、お釈迦さまのご生涯と説法を慕い歩んでこられた、インド・中国・日本の祖師方が受け継いだ教えを実践しており、これを正伝の仏法と呼んでいます。
曹洞宗は、お釈迦様の時代から連綿と受け継がれてきた「正伝の仏法」を拠り所とする宗派です。正伝の仏法は「坐禅の仏法」ともいわれ、鎌倉時代、道元禅師により中国・宋から日本へと伝えられました。
これも簡単に言いかえるならば、曹洞宗の礎となる教えを中国から持ち帰り日本へ教え伝えたのが道元禅師ということですね。
日本における曹洞宗の開祖ともされています。
瑩山禅師の曹洞宗における行い|曹洞宗を爆発的に広めた立役者
曹洞宗の基礎を持ち帰り、日本で曹洞宗を開いたのであれば、道元禅師だけが「祖」でよさそうとも思えます。
しかし、開祖と並び立つほどの功績を持つのが瑩山禅師なのです。
簡単にいうなれば、敏腕プロデューサー/広報たる立ち位置が瑩山禅師と言えましょう。
日本における開祖である道元禅師は言うなれば、商売っ気のない芸術家や研究員タイプといった趣です。
道元禅師は、正伝の仏法、釈迦の教えを守り、ひたすらに座禅につとめることを主とする保守派でした。
対して、瑩山禅師は、密教的な加持祈禱を取り入れたり、下級武士や商人への教化を進めたり、積極的に女性を住職に登用したりと、改革派だったのです。
これらの改革が功を奏し、曹洞宗を爆発的に普及させました。
その立役者として、開祖と並び立つ「祖」に数えられるようになったわけです。
日本伝統宗派最多の寺院数を誇るまでの、曹洞宗の隆盛は瑩山一派によってもたらされたものであるとされています。
曹洞宗全寺院の8割が總持寺系と言われているのです。
三代相論(さんだいそうろん)|保守派と改革派のぶつかり合い
どの年代、どこの組織、でもある話で、保守派と改革派は相容れるものではありません。
そのため、当然、曹洞宗もこのぶつかり合いが幾度となく生じ、三代にもわたって繰り広げられました。
道元禅師の流れを汲む保守派と、改革派のぶつかり合いです。
要は内紛です。
ただ、道元禅師と瑩山禅師は直接戦ったわけではありません。
瑩山禅師は第四世に数えられますから、道元禅師とは時代的に異なるのです。
保守派と改革派の長らく続いた相論は、結果、改革派が勝利し、今に至るわけです。
他の伝統仏教のみならず新興宗教においても、はたまたキリスト教などにおいても、こういった派閥争いが収まることなく、そのまま分派してしまった例が古今東西多々あります。
というより、今の時代に分派せずに残っている宗派の方が少ないくらいでしょう。
”仏教”という根本からは分派した曹洞宗ではありますが、その後は保守派、改革派と分かれることなく今に至るのは稀有な存在と言ってもよいかもしれません。
参考
大本山總持寺について
メモ
- 開山:瑩山禅師
- 所在:神奈川県横浜市鶴見区鶴見
- 本尊:釈迦如来
- 開創:1321年
- 敷地面積:約50万㎡
- 總持寺ウェブサイト
京急鶴見駅からほど近くにある總持寺は、大本山という名前の通り、とんでもない広さ(約50万㎡)のお寺です。
引用:總持寺 境内マップ
50万㎡と言われても、まったくピンときませんよね。
例えば、多宗派(真言宗智山派)であるものの、同じく大本山であり、観光名所としても有名な、成田山新勝寺の敷地面積は約22万㎡です。
成田山は私も行ったことがありますが、あそこだって、とんでもない広さです。
總持寺は成田山の、ゆうに倍以上の広さがあるわけですね。
お寺以外の施設で例えるならば、こんな感じです。
参考
- 東京ディズニーランド:46.5万㎡
- 東京ディズニーシー:49万㎡
- よこはま動物園ズーラシア:45.3万㎡
- 東京ドーム10個分:46.7万㎡
どれだけ広大なのかが、よくわかりますよね。
注意ポイント
"総"持寺という表記のお寺も存在していますが、こちらは高野山真言宗のまったく別のお寺です。
大本山永平寺について
メモ
- 開山:道元禅師
- 所在:福井県吉田郡永平寺町
- 本尊:釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来
- 開創:1244年
- 敷地面積:約94,430㎡
- 永平寺ウェブサイト
対して、大本山と言っても、總持寺の面積に比べると、約1/5と小さい永平寺。
所在地も人里離れた山の中にあります。
Googleマップも実写のレイヤーの方が雰囲気分かりやすいかもしれません。
まさに山の中。
それもそのはず、開祖道元禅師の遺志が残るがごとく、今では僧侶たちの修行場となっております。
曹洞宗の僧侶となるために、
※僧侶だけではなく、一般人の修行体験も受け付けています。
参考:団体研修のご案内
まとめ
曹洞宗の大本山がなぜ二つ存在しているかという理由は、曹洞宗に大きく貢献した両祖、道元禅師と瑩山禅師が両祖として存在し、それぞれが開山したお寺があるからです。
永平寺、總持寺ともに、一般の参拝を広く認められておりますから、ご興味ある方は参拝してみると、より近しく感じられるかもしれませんね。