大きな駅の入り口や、人通りのおおい繁華街を歩いていると・・・
鈴を鳴らしながら立ちつくすお坊さんを見ることがあります。
あれは托鉢(たくはつ)といって、仏教で定められた修行のひとつ。
でもいったい誰にとって何の意味があるのか、現代人のわれわれからすると、ちょっとピンときませんね。
いやそれどころか「托鉢僧ってなんか怪しい…胡散臭い…」といったイメージを持つ方がいらっしゃるかもしれません。
たしかに昨今、偽物の托鉢僧が出没してニュースで問題になったこともありました。
本物と偽物の見分け方は、意外な方法があるのですよ。
というわけで今回は、
托鉢僧とは|その意味と見た目で分かる偽物坊主の見分け方
をお送りします。
托鉢とはどんな意味があるのか
托鉢は「お布施を受ける修行」です。
これを理解するためには、まず「お布施」について知らなければなりません。
お布施とはなにか
仏教のおしえの特徴のひとつに、「因・縁・果(いん・えん・か)」を説くところがあります。
この世の中の真理として、なにか原因を作れば(因)それが縁となって(縁)結果を引き起こす(果)、ということを指す言葉ですね。
- 悪い行いをすれば、それが縁となって、悪い結果となってじぶんに返ってくる。(悪因悪果)
- 反対に、善い行いをすれば、それが縁となって、善い結果となってじぶんに返ってくる。(善因善果)
四字熟語の「因果応報(いんがおうほう)」はまさにここから来ています。
この世の生き物はすべて、六道という六つの世界で生き死にを繰り返す、六道輪廻(ろくどうりんね)という考え方があります。
六道とは、
- 天界
- 人間
- 修羅
- 畜生
- 餓鬼
- 地獄
これらの世界です。
さきほどの因果の話にもどりますが、
- 悪いことを繰り返した人間は地獄に落ちて苦しみ、
- 善いことをすれば天に生まれて楽しく過ごせる
といったことが、インドでは強く信じられています。
こんなことを聴くとだれでも「天界に生まれたい」って思いますよね?
ということで、善いおこないを、自分からやっていきましょうね!ということになります。
その善行のひとつがお布施なのです。
お布施には3種類があります。
- 財施(ざいせ)…物欲などを捨て仏・僧侶・貧困者に衣食など物資を施すこと
- 法施(ほっせ)…尊い教えを説いて与えること
- 無畏施(むいせ)…安心を与えてあげること
これらのお布施をおこなうと、
- お布施した人間が死んだ後、天界に生まれ変わる
- 先祖のうちで、餓鬼や地獄の世界におちた亡者たちが救われ、天界に行く
- 寿命が延びる
など、たくさんの功徳を得られるとされました。
とくに①については、バラモンなどの聖人や出家した修行者にお布施をすると「与えた人間は天界に生まれ変わる」という考え方が、古い時代からインドにあります。
托鉢はお坊さんが積極的にお布施を受ける修行です。
これによって施す人の来世を良いものにする、または先祖供養などの手助けをするわけですね。
ちょっとフクザツなお布施の作法
以上のように、お布施をする行為自体に大きな功徳があるわけですから、受ける側はお礼を言いません。
お布施には、このようなルールがあるのです。
- お布施を受けた人は、お礼を言わない。恩義も感じてはいけない。
- お布施をおこなった人は、「施してやった」「これだけのことをしてやった」…と恩を着せるようなことを思ってはならない。
現代人にとっては、少し奇妙なルールかもしれません。
このルールを破ると、どうなるのでしょうか?
悪いことをすると悪い結果で帰ってくる…悪因悪果(あくいんあっか)。
このことを物語ふうに説いている、非常にめずらしいお経があります。
それが初期仏教の経典「餓鬼事経(がきじきょう)」。
ここにお布施のルールを破った人間のエピソードが載っています。
簡単にまとめますと…
盗賊になった青年と踊り子のはなし(「餓鬼事経」より)
親の資産を食いつぶし、盗賊になって盗みをはたらく青年がいました。
しかし強盗に失敗して役人に捕まり、処刑されることが決まります。
処刑場に連行される途中、青年は知り合いだった踊り子の女の子に出会います。
踊り子は青年が裕福で遊びふけていたときに呼ばれたことを思い出し、あわれみで彼に食事を与えました。
しかし青年は、もらった食事を、托鉢でその場にいた釈迦十大弟子の目連(もくれん)尊者に施しました。
このあと、青年は処刑されてしまいます。
しかし聖者にお布施をした功徳によって、天界でも高い位の存在に生まれ変わる…
…そのはずでした。
じつは青年は踊り子の女の子にたいし、食事への感謝と、愛情をもってしまったのです。
このため、天界のなかでも最底辺である、土地の守り神に生まれ変わったということでした。
このように、お布施はお礼を感じたり恩に着せたりすることは功徳にならないし、さずかるご利益が減ってしまう…というむずかしいルールがあるのですね。
現代人にはちょっと、とっつきにくい話です。
托鉢僧が偽物坊主かどうかの見分け方
お布施を受けたときにお礼をしているかどうか?
托鉢僧がニセモノかどうかを見分ける手段は、ここがひとつの基準になります。
お布施をもらって「ありがとうございます!」とか「あなたに幸あれ!」なんて言っていたらおかしいわけですね。
お布施をする人のための修行ですし、募金じゃないのですから。
とはいっても…。
上で紹介したことを知っている人はなかなかいません。
なので「坊主のくせにお礼のひとつも言えないのか!?」なんて誤解も生まれます。
ですから、街角で立っている現代の托鉢僧は、お布施を受けた時に
- 黙って軽く会釈する
- 法施として、短いお経などを唱える
などで、かんたんに返事している場合があります。
さらに、偽物を見破る方法をお教えしましょう。
偽物の特徴①袈裟がない
まずは外見から。
一般の方でもわかる、偽物坊主のカンタンな見分け方。
それは袈裟がない・あるいはおかしいというところです。
現代の所定の宗派に属している僧侶は、かならず本山などで修行をしなければなりません。
修行には宗が規定する衣を着用しますので、持っていないということはあり得ないのです。
そして僧侶は本来、常に袈裟を着用すべきと戒律で定められています。
宗教的な活動ならば、袈裟を着けていないと厳罰を受けることもありますよ。
あやしい新興宗教の勧誘や、ニセモノじゃないのかと誤解をされますからね。
では托鉢をおこなう、主な宗派の袈裟をご紹介しましょう。
宗派全般
以下の二点は、正装としても用いられます。
- 如法衣(にょほうえ)
- 五条(ごじょう)
「如法衣(にょほうえ)」は名前のごとく、仏教のおしえにしたがって作られた衣です。
もともとの名前は糞掃衣(ふんぞうえ)。
初期仏教においてはこの衣を三着と、托鉢のための鉢をもつことしかお坊さんには許されませんでした。
ちなみに、「布施」の語源はこの衣につかう布をお坊さんに施すことから来ています。
目上に従う・うやまうという意味で右肩をおおわないことが、この衣の着け方の特徴です。
お坊さんの衣としてはこの「五条(ごじょう)」
おもに法要に使いますが、外で托鉢をするときに着用する宗派もあります。
さてここからは、野外活動やかんたんな法務に用いられる、略式の袈裟をご紹介しましょう。
禅宗
禅宗の略式袈裟は「絡子(らくす)」といいます。
特徴は左胸の白い輪。
曹洞宗と臨済宗ではこの輪の位置が微妙にちがいます。
真言宗
こちらは真言宗の「折五条(おりごじょう)」。
中をひらくと、きちんと五条になる仕組みです。
新義真言宗はこのような五条を着ることがあります。
天台宗
天台宗の略式の袈裟は「輪袈裟(わげさ)」。
完全に輪になっていて、中を広げても五条にはなりません。
浄土宗
浄土宗は「威儀細(いぎぼそ)」。
禅宗に影響を受けていますが、胸の輪がありませんね。
浄土真宗
浄土真宗は「輪袈裟」。
名前はおなじですが、天台宗のものとちがい、輪になっておらず両端がちいさな紐で結ばれています。
また中を開くと五条になります。
これらの法衣は、例外なく高価(最低で一万円くらい)です。
お金目当ての偽物坊主が、これらをそろえてまで托鉢するとは…考えにくいですね。
しかし、こういったコスプレ用品で揃えている可能性はあるかもしれません。
偽物の特徴②托鉢許可証がない
袈裟で判断することがむずかしい時もあります。
たとえば托鉢僧が胸の前に頭陀袋(ずだぶくろ)をかけている場合や、雲水姿のお坊さんは着物と小物がこまごましていて、袈裟が判別しにくい場合。
そんな時は、許可証を身に着けているか見てみましょう。
禅宗、天台宗、真言宗のお坊さんは、必ず見えるところに托鉢許可証(托鉢修行証ともいいます)を下げています。
これらの宗派は托鉢を許可制にしているのですが…それだけ問い合わせが多いということなのでしょうね。
ただし、托鉢僧が持っていなかったとしても、法律的に処罰の対象になりません。
偽物の特徴③最低限の知識がない
かなり難易度が高いかもしれませんが、最後の手段として、托鉢僧に対して質問をしてみるのも手です。
ちょっと話がずれますが、集団托鉢といえば永平寺の托鉢寒行が有名ですね。
テレビでよくニュースになったりしますが、見ているこちらも身が引き締まる思いがします。
彼らは本山での修行の一環として托鉢を行います。
一方で集団に属さず、街角でひとり托鉢にいそしむ本物のお坊さんって、どんな人なのでしょう?
共通して言えるのは、一般家庭(在家=ざいけ)出身で、真剣に修行をしている方です。
仏道を極めるために専門知識の学習を怠ることはなく、世の人のあらゆる悩みに寄り添おうとして、会話も上手であるという特徴があります。
ちなみに、大寺院の住職や、あと継ぎのご子息が托鉢をすることは、滅多にありません。
墓地の運営などで檀家さんからの収入があり、悠々と食べていけますし、わざわざ公衆の面前でプライドを捨てることをしたがらないからです。
ということで、怪しい托鉢僧を見かけたら、お坊さんとして最低限の知識を尋ねてみましょう。
三法印ってなに?と尋ねてみましょう
三法印(さんぼういん・さんほういん)は「この教えは仏教ですよ」と証明する、三大特徴のことです。
反対に、これらのいずれかが欠けていると、仏教とみなされません。
- 諸行無常(しょぎょうむじょう)…すべてのものは移ろいゆく。永遠や不滅はない。
- 諸法無我(しょほうむが)…すべてに「我」(=実体)はない。
- 涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)さとりこそ最高の境地である。
三法印は仏教の教科書にはかならず記載されている、仏教の初歩的な知識です。
これが答えられないようならば、修行していないニセモノだと断定しましょう。
さらに三法印に、
- 一切皆苦(いっさいかいく)すべては苦である。
を加えて、四法印(しほういん)という場合もあります。
雪山童子(せっせんどうじ)ってなに?と尋ねてみましょう
これも初歩的な仏教知識です。
お釈迦様の前世のお話である本生譚(ほんしょうたん。ジャータカともいいます)に、雪山童子(せっせんどうじ)の逸話があります。
これは尊い教えを聞くかわりに、自分自身を食料として羅刹(らせつ=鬼)にささげた若い僧(=後世のお釈迦様)のお話。
実は、この羅刹は、僧侶の真剣さをためした帝釈天が姿を変えたものでした。
若い僧が羅刹から聞いた詩は「雪山偈(せっせんげ)」「無常偈(むじょうげ)」とも呼ばれています。
- 諸行無常(しょぎょうむじょう)
- 是生滅法(ぜしょうめっぽう)
- 消滅滅已(しょうめつめっち)
- 寂滅為楽(じゃくめついらく)
この詩偈(しげ)をさらにわかりやすく和訳したのが有名な「いろは歌」。
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす
色はにほへど 散りぬるを
我が世たれぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず
「いろは歌」は弘法大師・空海上人の作だという説があります。
この詩を誰が作ったのか?だけでも覚えておくことをオススメします。
この辺の知識を答えられないような托鉢僧は真っ赤な偽物であるということですね。
偽物の特徴④お布施の金額を言ってくる
お布施を受ける側の托鉢僧が具体的な金額を要求してきたら、それは間違いなく偽物坊主です。
お布施に明確な金額はありません。
それは人によって違います。
なぜならお布施をする側が「執着を感じない金額」で良いからです。
- 「あれだけの額のお布施をしたのに、ちっともご利益が帰ってこないじゃないか!」
- 「パンも買えない金額しかお布施できなかったのだけど、じつはお財布は寒くなかったのよね…」
…なんて感じた時点で、お布施の意味がなくなるのは、これまで述べてきたとおりです。
10円でもお布施するのが惜しいという人もいれば、1000円でもへっちゃら!なんて方もいるので、最適な金額は人によりけりですよね。
繰り返しになりますが、お布施という行為は、ただそれだけで功徳がある尊いものです。
お布施をする側が、出し惜しみを感じない金額をお渡しすれば良いですよ。
そして内容の多少を問わず、支払われたお布施をつつしんで受けることが、お布施を受ける側の絶対条件です。
本気で修行している托鉢僧が、具体的な金額を要求することはありえません。
まとめ
- 作法として、お布施(=托鉢)を受けた側はお礼を言わない。
- お布施をする側も恩着せがましく思わないのが原則。
- 托鉢僧がニセモノかどうかは、袈裟、そして托鉢許可証を見るとわかる。
- さらに可能なら、仏教的な素養も尋ねてみる。
- 具体的な金額の要求があったらニセモノ確定。
お布施にはそれ自体にありがたい功徳があるもの。
相手のお坊さんが偽物かどうかは、実際のところ問題ではないのかもしれません。
しかし外見で托鉢僧が本物かどうかはわかります。
そんな真剣に修行をされている方に施しをすると、ありがたい出会いが待っているかもしれませんよ。