「恐れ入谷の鬼子母神(おそれいりやのきしもじん)」という言葉をご存知ですか?
これは「恐れ入りやした」という江戸っ子ことばと、鬼子母神で有名なお寺がある東京都の入谷(いりや)とかけてある、シャレです。
映画「男はつらいよ」の寅さんがよくつかうセリフですね。
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そもそも鬼子母神って、いったいどんな存在なのでしょうか?
名前の感じから、鬼と関係がありそうですが…
ということで今回は、
鬼子母神の由来と意味とは|子を守る悲しき元悪鬼の歴史
をお送りします。
鬼子母神の由来と歴史
鬼子母神は「きしもじん」または「きしぼじん」と読み、仏教の守り神として、また安産・子育ての神としてお寺で祀られます。
発祥はインド。
もともとは人間の子供を食らう、夜叉女(やしゃにょ)と呼ばれる女の鬼でした。サンスクリット語でHariti(ハーリティ)という名前をもっています。
中国語では「訶利帝母(かりていも)」と音写され、仏教経典のなかで、修行者を守る存在として彼女はたびたび登場します。
悪さをしていた鬼が、どうして仏教の守り神になったのでしょうか?
鬼子母神、悪鬼から善神になる
中国の唐の時代。
海づたいにインドに渡り、25年間も仏教を学んだ義浄(ぎじょう、635年生まれ〜713年没)というお坊さんがいました。
彼が訳したお経のひとつ「説一切有部毘奈耶雑事(せついっさいうぶびなやざつじ)」は、お坊さんのまもるべきルールや、仏教にまつわる物語について書かれてある経典です。
その第31巻に、鬼子母神のことがくわしく書かれています。
それによると…。
鬼子母神の前世のはなし
たいへんむかし、インドの王舎城(現在のラージャグリハ)に、悟りを開いた独覚仏という名の人が説法に来ました。
彼がひらく法会に出席するため、500人がそれぞれ身を飾り参詣しました。
彼らはその道中、牛飼いの女性に出会い、彼女も法会に来るよう誘います。
ありがたい法要のお誘いをうけたことにとても喜んで、彼女は妊娠していたにもかかわらず、その場で踊りを披露しました。
そのことがたたって、この女性は流産してしまいます。
ところが…むざんなことに、彼女のことを介抱する人は誰もいませんでした。
女性は法会に500人分の牛乳を持っていき、独覚仏に供養をするも、堕胎した憎しみからひとつの悪い願望を抱いてしまいます。
「来世はかならず王舎城に生まれ変わって、ことごとく人の子を食べる」と。
牛飼いの女は鬼に生まれ変わって暴虐のかぎりをおこなう
この願いは現実になります。
鬼の夜叉女(やしゃにょ)ハーリティとなって、彼女は来世で生まれ変わりました。
仏陀羅国のパンチカ(半支迦)という夜叉と結婚して500人の子供を産みます。
そして子育ての滋養をつけるために、毎晩、王舎城じゅうの人の子供を食べる凶行におよぶようになりました。
人々が不安をうったえたので、当時ブッダ(悟りを開いた者)として君臨していたお釈迦様は、彼女が産んだ子供のひとりをふしぎな法力で隠してしまいます。
お釈迦様にさとされ、悪さをやめ善神となる
ハーリティは悲嘆にくれて我が子を探し回りました。
その結果、お釈迦様のもとにいることを知り、急いで駆けつけます。
お釈迦さまは鬼女に対してこう教えさとされました。
「おまえは500人も子供がいるのに、たった1人うしなっただけでもそのように取り乱す。おまえが食べた子供の親はそれ以上に悲しみ苦しむ。その気持ちがわかるか?」
ハーリティは心から悔い改め、もう人の子を食べることをしないと誓った一方・・・
「これからわたしも、子供たちも、食べるものがありません。いったいどうすればよろしいですか?」と悲しみます。
「心配するな。わたしの弟子たちが食事のたびにおまえたちを呼んで、おなかいっぱい食べさせるようにとりはからう。だから修行の道場と弟子たちをどうか守ってほしい。」
そのようにお釈迦様はおっしゃって子供をかえしたのち、彼女に戒律をさずけ、仏のおしえを守る善神として役目をはたすようにしました。
こののち、悪鬼・ハーリティは善神として活躍するようになります。
さらには子供を食べるどころか、逆に安産・子育てをつかさどる神としてみなされるようにもなりました。
インドの鬼子母神信仰
おなじ義浄の記した「南海寄帰内法伝(なんかいききないほうでん)」には当時のインドのようすが描かれています。
そこでは現地の鬼子母神信仰について、
「インドのお寺の門や台所にはかならず鬼子母と子供たちが描かれ、祀られていて、食事がお供えされている。子供が病気をわずらっても、この画像にご飯をお供えすればふしぎと治る。」
と、記載があります。
インドではお寺と台所、そして子供を守る神として鬼子母神が祀られたことがわかりますね。
日本の鬼子母神信仰
訶利帝母すなわちハーリティは、おもに日本で「鬼子母神」と呼ばれ、親しまれています。
人気に火が付いたのは江戸時代。
ながい戦乱の世が終わり、平和な時代がやってきたことから、庶民も安心して子供をふやし育てていくときですね。
当時の江戸は世界的にも有数の人口をほこる都市でしたから、あちこちに子供たちがいて遊びまわっていたことは容易にイメージできます。
いつの時代も、親は子供の無事を願ってやみません。
わが子を守ってくれる神として、鬼子母神が絶大な信仰をあつめるようになったのは、当然の流れですね。
「恐れ入谷の鬼子母神」の意味
その人気と親しみやすさから、江戸の狂歌師・太田南畝(おおたなんぽ、1749年生まれ~1823年没)が作った言葉遊びの一句、それが「恐れ入谷の鬼子母神」。
相手のすばらしさに驚きつつも、すなおに認められないときに使う表現です。
「法華経」の守護者として敬われる鬼子母神
鬼子母神が活躍する、もっとも有名な経典は「法華経」でしょう。
その「陀羅尼品」で、法華経とその持ち主を守る、と鬼子母神が10人の羅刹女とともに誓うシーンがあります。
このことから、とくに「法華経」を最高の経典としている日蓮宗系の寺院では、鬼子母神を守護神としてたいせつにあつかっています。
とりわけ江戸の庶民に愛された鬼子母神のお寺は「江戸三大鬼子母神」といわれ、
- 真源寺…東京都台東区。「恐れ入谷の鬼子母神」で有名。法華宗本門流
- 法明寺…同豊島区。飛び地に「雑司ヶ谷鬼子母神」が祀られている。日蓮宗
- 法華経寺…千葉県市川市。日蓮上人との縁がふかい。日蓮宗
驚くことに三か寺のすべてが日蓮宗系なのですね。
創価学会は鬼子母神をどうあつかっている?
おなじく日蓮宗系で「法華経」を重視している創価学会。
もともとは日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)を支える団体のひとつでした。
>>>『創価学会と日蓮宗』違いと関係は?お題目【南無妙法蓮華経】に秘められた歴史
日蓮(1222年生まれ~1282年没)がひらいた日蓮宗は、のちの分派・分裂がややこしく、お互いをはげしく誹謗し傷つけあったりする場合もあります。
そのような法人のひとつが日蓮正宗でして、彼らは日蓮が描いた法華曼荼羅=「本門戒壇の大御本尊」以外、礼拝する本尊を認めません。
ほかの日蓮宗系がよく祀る、釈迦如来や多宝如来などの尊像を作ることも許さないほど、その規制は厳しいものです。
>>>日蓮宗とは『日蓮正宗』との違いはドコ?【超過激】な修行の実態について
ゆえに、日蓮正宗は鬼子母神も崇拝対象として像をつくることはなく、逆に彼女を祀っているお寺さんを批判さえします。
法華曼荼羅には鬼子母神の宝号もしっかり入っているのに、おなじ日蓮宗系でも意見がまったく異なるのは不思議ですね。
その日蓮正宗から独立した創価学会もおなじ考えです。
ただし、
- 鬼子母神のように凶暴な悪鬼も善鬼になれる、まして学会の信徒ならばなおさらである
- 学会の女性会員は法華経にでてくる鬼子母神のような存在。学会の守護神だ
…などといった教説で、たくみに鬼子母神信仰を取り入れています。
鬼子母神のご利益
鬼子母神が授けてくれるご利益で、もっとも有名なものは子供の無事安産と無事成長。
なかでも天台宗や真言宗につたわる密教の祈祷に「訶利帝母法(かりていもほう)」というものがあります。
妊婦の出産のさい、無事安産と母体安全を祈る作法でして、さらに夫婦が仲むつまじくなるほか、恋愛成就・災難よけにも霊験あらたかです。
鬼子母神のご真言は「オン・ドドマリギャキテイ・ソワカ」。
鬼子母神の造像の特徴
日本では鬼子母神の尊像や画像を作る際、
天台宗・真言宗では、
- 天女の羽衣をつけた美しい女性で、右手にザクロをもち、左手に子供を抱きかかえている
- さらにそのまわりを子供たちが取り囲んでいる
といった様子で表現されます。
一方で日蓮宗系では、
- 天女のすがたで子供をもたず、合掌している
- 頭にツノが生えた鬼というおそろしい造形で、子供を抱きかかえている
これらの2種類があります。
東京都豊島区にある「雑司ヶ谷鬼子母神」は、おもしろいことに「鬼」の字のあたまの点をとりのぞいて記されているのが特徴。これは仏教に帰依してツノが取れたことを表しています。
鬼子母神が持つザクロについて
「恐れ入谷の鬼子母神」で有名な、東京都台東区にある真源寺の外壁。
その屋根瓦にはザクロをかたどった紋がびっしりと描かれています。
鬼子母神の好物がザクロだからですね。
これは人を食べなくなった代わりとして、血のように赤い果汁のザクロを彼女が食べるようになった伝説が由来です。
いっぽう、その考え方は日本で作られた俗説だとして切り捨てる方もいます。
しかし…。
密教の修行法はきびしいとりきめがなされています。
いったん始めたら途中でやめることを許されません。
もしなにかあった場合、それは邪魔がはいる=魔のしわざであると考えます。
魔のひとつが餓鬼(がき)。
ふだんは餓鬼界に住んでいて、いつもおなかをすかせています。
そのあまり、すがたを隠し人間界にまぎれて食べ物をさがしに来ることも。
その途中で、修行中のお坊さんたちの邪魔をするとみなされています。
その邪魔が入らないように、行者さんたちの残飯を餓鬼たちに与える「施餓鬼法(せがきほう)」という修法を行います。
おなかが満たされた餓鬼たちは元の場所に帰っていくという仕組み。
さて、この「施餓鬼法」ですが、修法をしてはいけない場所があります。
それが「ザクロの木の下」。
理由は、餓鬼が残飯といっしょにザクロの実も食べてしまうから。
「なにこれ!とてもおいしいじゃないか…じゃあ次は、ほんとうに血のしたたるようなものが食べてみたい」ということで、餓鬼が動物や人間の血肉も欲してしまう、といわれています。
こういった伝承が残っていますから、ザクロ≒人の血肉、はあながち間違っていないのです。
実際の味は、まったく別物なのですけれどもね…。
余談ですが、同じ理由で、お稲荷さんにザクロをお供えしてはいけないという地域もあります。
まとめ
鬼子母神が悪鬼から善神になり、庶民に親しまれるながれなど、くわしく見てまいりました。
いまもむかしも変わらず、親というものは、我が子を可愛がります。
その親が、たとえ鬼だったとしても。
悪行をはたらいたのは、子供のためなればこそ…そんな人間くさい母親像が、鬼子母神のほんとうの魅力なのでしょうね。