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仏教とキリスト教は地獄の種類や概念がまるで違う!それぞれの死後の世界とは

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生前に罪を犯した人が死後に行かされる場所である地獄。

「地獄耳」や「地獄絵図」など、日常的によく使う言葉にも地獄という言葉は登場しますよね。

あなたは「地獄」と聞いてどんなことを思い浮かべますか?

舌を抜かれるとか火に焼かれるなどの話を、一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。

実は、地獄の苦しみはそんなものではありません。

ぎょっと驚くような苦しみが、生前に犯した罪の重さに従って待ち受けているのです。

 

しかし、この地獄についての考え方は宗教によって様々なのです。

どのような罪を犯せば地獄行きなのか、その基準は宗教によって異なります。

その中でも今回は仏教とキリスト教に注目して比較していきたいと思います。

世界三大宗教に数えられるこの2つの宗教では、一体どのような違いがあるのでしょうか。

地獄についての考え方の違いについて詳しくみていきましょう。

 

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地獄とは

そもそも地獄とは何なのでしょうか。

意味についてみていきましょう。

地獄の語源

地獄の元となる語は、サンスクリット語の「ナラカ」という言葉です。

これは「苦しみの世界」という意味の言葉

この言葉が中国に伝わり「地獄」と表現されるようになりました。

現在でも「奈落の底」という言葉がありますよね。

この「奈落」とは、サンスクリット語のナラカからきていると言われています。

 

仏教における地獄の概念

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では、仏教における地獄とはどのような世界なのでしょうか。

仏教では、人間は死後、六道と呼ばれる6つの苦しみの世界の中で輪廻転生を繰り返すとされています。

地獄とは、その六道のうちの1つである「地獄道」のこと。

この六道において地獄道は一番苦しい世界

生前にかなりの罪を犯した極悪人が行く世界とされています。

仏教における地獄の8つの世界

仏教における地獄は、苦しみの世界が段階に分けられて存在しています。

  1. 等活地獄
  2. 黒縄地獄
  3. 衆合地獄
  4. 叫喚地獄
  5. 大叫喚地獄
  6. 焦熱地獄
  7. 大焦熱地獄
  8. 無間地獄

それぞれの世界を詳しく見てきましょう。

1.等活地獄(とうかつじごく)

8つの地獄の中で最も苦しみの軽い地獄。

生き物を殺した者が落ちる地獄です。

この生き物とは、生きているもの全て。

つまり、虫などを殺してもいけないという厳しい基準です。

 

この世界では、鉄の爪のようなもので死者同士が殺し合いを続ける世界。

お互い肉が無くなるくらいまで争わなくてはなりません。

しかし、肉が無くなっても終わりではないのがこの地獄の苦しいところ。

なんと風が吹いてくるとまた体が基に戻るようになっているので、また終わらない戦いを始めなくてはならないのです。

2.黒縄地獄(こくじょうじごく)

この地獄に落ちるのは、殺生と盗みを犯した者。

鬼たちに焼けた鉄の上に押し倒されたり、焼けた鉄縄で身体を打たれたりする地獄です。

また、険しい崖の上から刀の生えた地面に突き落されるなどの罰も待ち受けており、ここでは等活地獄の10倍もの苦しみを味わうとされています。

3.衆合地獄(しゅうごうじごく)

殺生・盗みだけでなく、邪淫の罪も犯した者が落ちる地獄です。

2つの鉄の山に挟まれたり、鉄臼で餅のようにつかれたりします。

他にも、葉が刃物になっている木の上から女性に呼ばれ、木を登ると今度は木の下に女性が現れ、そうこうして翻弄されているうちに身体がズタズタに切り裂かれてしまうという罰も。

この衆合地獄は、黒縄地獄の10倍の苦しみを味わうとされています。

4.叫喚地獄(きょうかんじごく)

殺生・盗み・邪淫に加え、飲酒もした人が落ちる地獄です。

ここでは、鬼に鍋の上に投げ込まれ、煮たり焼かれたりします。

それだけでなく、口から銅を流し込まれて内蔵を焼かれる罰も存在します。

これは、地獄の番人である閻魔大王も常に受けている責め苦です。

この地獄が叫喚地獄と呼ばれるのは、人々が苦しみもだえるため。

この叫喚地獄も、衆合地獄の10倍の苦しみを味わうとされています。

 

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5.大叫喚地獄(だいきょうかんじごく)

この地獄は殺生・盗み・邪淫・飲酒の他に、嘘をついた者が落ちる地獄。

舌を抜かれる、焼けた針で舌を刺されるなど、舌や口の中を主に攻められます。

こちらも叫喚地獄の10倍の苦しみが待ち受けているとされています。

6.焦熱地獄(しょうねつじごく)

殺生・盗み・邪淫・飲酒に加え、邪見の罪を犯した者が落ちる地獄です。

邪見とは正しくない仏教の教えを説くこと。

この地獄の特徴は、名前の通り体を徹底的に焼かれること。

焼き鳥のように串刺しになって焼かれるところもあれば、いったんミンチのようになってから焼かれるところもあるのだとか。

この地獄の火に比べると、今までの地獄が涼しく感じる程だと言われています。

7.大焦熱地獄(だいしょうねつじごく)

これまでの罪に加え、尼などの清い者を殺害した者が落ちる地獄。

至る所が燃えている世界で、たきぎのように焼かれ続けます。

刑の内容は焦熱地獄とあまり変わりませんが、味わう苦しみは10倍以上です。

8.無間地獄(むげんじごく)

地獄の中で最も苦しい世界。

これまでの罪に加えて、父母や聖者の殺害などの重罪を犯した者が落ちる地獄です。

考えられないほどの苦しみが待ち受けているので、別名「阿鼻地獄」とも呼ばれます。

地獄の中で最も深いところにあり、鬼に穴に落とされてからこの無間地獄に落ちるまで、2000年もかかるのだとか。

到着すると熱い鉄の山を登らされたり、虫に身体を食べられたりします。

無間地獄の語源は、苦しみが絶えずやってくることから。

苦しみが強すぎて他の地獄が楽に思えるような世界と言われています。

仏教における地獄のまとめ

なんともなんとも・・・

数字がインフレし過ぎて、何が何だかわからないというのが率直な感想かと思います。

これは今で言うバトル漫画のようなものかと思われます。

具体的な数字を見せることで、「とんでもなくすげぇヤバイ!!」というのを一般人にも分かりやすく伝わるように考えられたものだからでしょう。

宗教においては、なにより伝わりやすいことが最も大事だからですね。

 

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キリスト教における地獄の概念

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一方、キリスト教における地獄は仏教のものとはかなり異なります。

まず、キリスト教には輪廻転生のような、生まれ変わるといった考えは存在しません。

キリスト教において、死後の世界は天国か地獄(ハデスorゲヘナ)のみ。

宗派にもよりますが、分類すると3つの行き先が存在しています。

  • 生前から神の存在を認め、信仰していた人は天国へ
  • 生前は神の存在を信じていなかった(キリスト教徒ではなかった)が、死後に神の存在を認めた人はハデスへ
  • 生前に神の存在を信じなかっただけでなく、神の意に背くような行いばかり行い、罪を犯した人はゲヘナに

キリスト教において、地獄に行くか天国へ行くかの最大のポイントは神への信仰心

生前から神を信仰しており、死後そのまま天国へ行けるのが一番苦しまずに済む方法です。

 

では、生前に神を信じられなかった人が必ずしも地獄行きかというと、そういうわけではありません。

生前に神を信仰していなくても、死後に神の存在を認めれば天国へ行ける可能性はあります。

キリスト教と仏教において、思想の一番の違いは「輪廻の考え方」がキリスト教には無いこと。

キリスト教は、基本的には亡くなった人の魂はそのまま神の基に召されるとの考え。

死後にどこの世界に行くかという判定は、一度決定したら覆らないようになっています。

つまり、一度天国行きが決まった人は地獄に落ちることはありませんが、もちろんその逆もあります。

一度地獄行きになった人は、いくら悔い改めても天国に行くことはないのです。

キリスト教世界における死後の世界

キリスト教における死後の世界とは、どのような世界なのでしょうか。

大きく分けると天国と地獄の2つに分けられます。

※宗派にもよります。

天国とは神が存在し、その神の支配の基に成り立っている世界のこと。

悲しみも苦しみもない、永遠の世界とされています。

また、神から発せられる光によって光輝いているため、夜が無い世界でもあります。

一方地獄とは、そのような天国とは正反対の世界

聖書には、地獄行きとなってしまう人についてあまり詳しくは書かれていません。

 

では、キリスト教において地獄行きとなってしまう人はどのような人なのでしょうか。

それは、他教を信じた者や大きな罪を犯した者。

つまり、神の存在を信じなかったことが一番の罪ということなのです。

一度地獄行きが決まってしまった場合、その決定は覆ることはありません。

地獄に入ってしまった魂が悔い改めて天国に行くことを願っても、その願いは聞き入れられないのです。

キリスト教世界における地獄の種類

ここまで、天国と地獄について簡単にみてきました。

しかし、キリスト教において地獄を表す言葉は2つあると言われています。

それが、聖書に登場する「ハデスとゲヘナ」という2つの言葉。

この言葉、同じ地獄に関連する言葉なのですが、意味がちょっと違います。

それぞれの意味を詳しくみていきましょう。

キリスト教の地獄|ハデスとは

ハデスとは、新約聖書に登場する死者が行く場所のこと。

死者の魂が一時的に留まる場所です。

このハデスは、元々はヘブライ語のシェオルを語源とする言葉。

2つともほぼ同じ意味を持つ言葉ですが、旧約聖書ではシェオル、新約聖書ではハデスとして使い分けられています。

新共同訳聖書では「陰府」(よみ)と訳されているハデス。

いったいどのような魂が集まる場所なのでしょうか。

この世界は、キリスト教を信仰していない人間の魂がたどりつく場所とされています。

 

しかし、このハデスは私達が想像する地獄のような所ではありません。

ハデスには神の救いが存在しています。

つまり、もし生前にキリスト教を信仰していなくても、信仰による神の救いによってここから抜け出すことは可能。

死後、神への信仰心が試される世界なのです。

 

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キリスト教の地獄|ゲヘナとは

一方ゲヘナとは、生前に罪を犯した者が行く世界

こちらのゲヘナが私達の想像する地獄に近いと考えられます。

具体的な地名である「ヒンノムの谷」を語源とする言葉です。

 

では、ヒンムノの谷とはどのような場所なのでしょうか。

ヒンムノの谷は、エルサレムの郊外にある焼却場のこと

昼夜を問わず様々なものが燃えている場所でした。

このことから、ヒンムノの谷は「永遠の裁きの象徴」として使われています。

そのような罪の象徴を語源とするゲヘナは、罪を犯した人が最終的に行かされる場所とされています。

聖書にもこのことは記されており、新約聖書ではゲヘナは「罪を犯した者が行くところと」はっきりと記述されています。

 

このことが良く分かるのが、新約聖書の「ラザロと金持ちの話」

少し紹介しましょう。

ある所に、ラザロという貧乏人と金持ちがいました。

2人の死後、信仰のあったラザロは天国に行くことが出来ますが、信仰を持たなかった金持ちは燃える炎の中で苦しみ続けることとなってしまいます。

これは、信仰を持っていれば生前に恵まれていたかどうかは関係ないという例え話。

このゲヘナには燃え続ける炎があり、不信仰な者の魂が焼かれ続ける場所とされています。

そして、このゲヘナは落ちたら2度と帰ってくることはできません。

ゲヘナに落ちた人の魂は、この金持ちのように炎の中で焼かれ、苦しみ続けるのです。

なんとも恐ろしい世界ですね。

 

キリスト教における地獄のまとめ

仏教が罪に最もフォーカスしているのに対し、キリスト教は信仰心に最もフォーカスしたものになります。

とにかく信仰心を主上とする考え方は、信者の信仰を集めるのに最適だったのでしょう。

「信じる者は救われる」という言葉がありますが、まさにこのキリスト教における死後の行き先の別れ方にピッタリな言葉ですよね。

※由来や語源は諸説あります。

 

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2つ宗教における地獄の違い

ここまで、キリスト教と仏教におけるそれぞれの地獄についてみてきました。

ここで、キリスト教と仏教の地獄についての考え方の違いを簡単に纏めておきたいと思います。

  • 地獄内でさらに世界が分かれているかどうか
  • また生まれ変わる事ができるかどうか
  • 一度地獄に行きになっても救いがあるか
  • 罪の重さによって罰が決まるか

このあたりが大きな違いになります。

同じように感じる地獄でも、実は大きな違いがあるのです。

キリスト教における地獄は、仏教のように様々な種類の世界があるわけではありません。

しかし、キリスト教における地獄は救いや生まれ変わりが無いことも特徴です。

そのためキリスト教における地獄では、魂は永遠に炎の中で焼かれ続ける苦しみを味わわなくてはならないのです。

 

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まとめ

悪事を働いたものが死後に行かされる世界である「地獄」。

どの宗教でも比較的同じように見える地獄ですが、実は考え方や内容などに大きな差がありました。

しかし、大きな違いはあっても「悪い行いをすると地獄行き」ということは共通しています。

地獄に行きたいという人はあまりいませんよね。

地獄に行きにならないようにするには、日頃から悪い行いはしないように心がけると良いかもしれません。

 

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